un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

感受性の消費期限と感受性を刺激する手段取得との残酷なタイムラグ

雨が続くので、子ども達と家にあるボードゲームを引っ張り出して遊ぶ。チケット・トゥ・ライド ヨーロッパ、ウボンゴ3D、アグリコラ、テーベの東。ごきぶりポーカー、パンデミック、あやつり人形は、まだ流石に概念が分からなかろうと思って公開していない。4歳の次女は何一つわかっていないがとりあえずコマを握るだけで楽しそうなのでいくつか握らせておく。これでも次女はおばけキャッチについてはかなりの上級者に育成されているのでいつ化けるかわからない。本題のゲームは、とりあえず長女と二人プレイでやる。

ほとんどのゲームがまずまともにルールを覚えきれない重量級のため、ルールと要素をかなり割愛して、ボードゲームごっこをしてあげる感じになる。それでも長女は楽しそうだが、私としてはゲームの根幹とも言える戦略性がごっそりと削られた作業ゲーに辟易しながら付き合う羽目になっている。

20代の頃は、ボードゲームが好きすぎて、一緒にできるプレーヤー欲しさに子どもを作ったと言っても過言ではないくらいだったのだが、子どもが適齢期になる前に、私の物事に対する興味、戦略的思考に対する情熱が息絶えそう。

社会人一年目の時、東京で狭いアパートぐらしになって、学生時代まで毎日のように好き放題かき鳴らしていたギターが、まるで弾けない環境になった。たくさんの理不尽にさらされて、歌に乗せて吠えたけりたい心のわだかまりはウンザリするくらいあったのに、それを吐き出す場もなく鬱屈を溜め込んでいた。これが弾ける環境が手に入ったときには、もう歌いたい歌もないだろう。そんな捨鉢な気持ちで、赤羽のカラオケボックスで満たされない欲望を吐き出していた。

そして、周辺を気にする必要のない防音性に優れた一軒家に住むことになった私はいま、ギターなんか弾いてられるかという白けきった気持ちの中年のおっさんに成り果てた。20代前半の私の予感は正しかった。情熱がピークにある時に、その情熱をぶつける最適な場が用意できないということが往々にしてある。感受性が豊かな若者のうちに、借金してでも色んなことを味わっておいたほうが望ましいには違いない。小銭をセコセコとためているうちに、感性も衝動も死滅していく。それは間違いなくそうなのだけれど、この残酷なタイムラグを借金で埋められる根性を持てる人はなかなかおらず、その一線を越えられる人はホント幸せ者だなと思う。