un deux droit

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負の連鎖のストッパーは誰が担う

小1の長女に手を焼いている。学童保育で1、2年年上のこどもたちにもまれて生意気な口の利き方や言い回しを覚えて使いたがる。保育園年少の次女に対して偉そうな指示をしたり、横暴にモノを取り上げたりするようになった。きっと学童では下っ端になって理不尽に奪われる側になったことだろう。その意趣返しを自分より弱い立場の妹にするのが幼稚だと思う。

保育園と日々の準備物が一変し、細々とした宿題も増え、億劫になっていて態度が悪い。なんでも自分1人で自立してできるならその態度も許容できるのだが、そこまで発達しているわけではない。精神的にもまだまだ甘えたがりで、お調子者で、後先考えられない。

一言で言うならば「こじらせている」。成長しているところとしていないところがデコボコで、ちぐはぐな点が多い。自己認識だけは立派なお姉さんで高慢ちき、しかし結果が全くついてきてないというのは、大手から転職してきた出羽守になる使えないオッサンに近い。まだ子どもだから過渡期なのだということは頭ではわかっている。しかし苛立ちが堪えられない。

おそらく私も、妻から成人男性として一定の敬意を払われずに言われたい放題言われて傷ついている。その事実さえ耐え難いのに、子どもにまで反抗的な態度を取られると、妻の侮蔑的な態度を真似しているみたいに感じて腹立たしく思うのだ。あるいは、長女が学童で受けたストレスを妹に発散しているように、私も妻から受けたストレスの捌け口をより弱い立場の長女に向けているのかもしれない。

いずれにせよ、私が長女に寛容でいられないことは野放しにしてはいけない。侮られまいと不寛容な振る舞いを長女に向けることで、むしろ侮られる状況を招き入れている。おそらくそんな構図になっているはずだ。

やられたらやり返す。ただし別の弱い誰かに。これはニワトリのつつきの順位の如く、動物的な自然の摂理なのだと思う。理性と思考能力に自負があるならその摂理に身を委ねてはならない。誰から理不尽に取り扱われても自分は他者にはしない。人から冷たくされても自分は人に優しくする。負の連鎖は自分の番で終わらせる。それがある程度高度な教育を得ることができた人間の矜持だと思っている。辱めに屈するから屈辱なのだ。そこで屈することなく毅然としていれば屈辱など存在しない。