un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

対面の人間関係において、学歴は知りたいが教えたくないもの

「小田嶋隆の学歴論」を読んだ。

人はなぜ、人の学歴を尺度にして人の価値を測れずにはいられないのか。学歴なんか関係ない、意味はない、有害だと言いながら、自分の子どもには死にものぐるいで学歴を与えたがるのか。学歴に囚われまい、と考えること自体が学歴の持つ支配力にずぶずぶと飲み込まれてゆく構図を解説した本。解毒しようとする行為がその毒性を強めることになるというとても厄介な性質を、学歴というラベルは秘めている。そんな面白い話。

この本を読む限り、私も思いっきり学歴主義者だと思った。学歴によって扱いを露骨に変えることはしていないが、相手の最終学歴を知っている場合は、その情報を念頭に置いて対話してしまっている。「今は〇〇大卒の人と話している」「今目の前の人は〇〇高の出だったな」というふうに。どういう話題を振ったらいいかを切り替えたり、それぞれの対話の経験を、脳内にある学歴のカテゴリーごとに仕分けする。〇〇大のやつとは話し合わんわ、〇〇大のやつはお高くとまって居やがる、てな感じで、レッテルをリアルタイムで貼りまくりながら会話をしている自覚がある。


私は、旧帝大とくくられる国公立大の一つに進学した。そのせいか、私大に対して、まるごと眉唾ものとして胡散臭く感じていたりする。附属からのエスカレーターが何本も走っているし、受験方法も様々ある。そして何より科目が少ない。

今はどうか知らないが、私が現役の時は早稲田の国際政経がセンター試験(古っ)の国英社(社会の点は2倍にして扱う)の3教科だけで出願できる枠があり、前年度の合格ラインが9割だった。当時の私はもっとピュアなクソ田舎者だったので、早慶と言えば神の領域と思い込み、「どうせ自分なんか行けるわけない、東大に行くような人の滑り止めなのだから」と出願すらしなかった。しかし蓋を開けてみると、センター試験の結果は国語180英語175政経100(いまだに点数を覚えているところがいかにも学歴主義者くさい)だったので、理論上は早稲田の国際政経に入れたのだ(強弁)。私は、惜しいことをしたという気持ちよりも、この程度の頭のやつでも潜り込む余地があるんだな、と白けた気持ちになったのを覚えている。

それ以来、早慶の印籠でビビることはなくなった。自分も行こうと思えば行けた領域だと勝手に思い込めているからだ。抜け道の多い私大の最難関よりも、五教科七科目キッチリやらされる国公立大のほうが、学歴としてはなんとなく威厳があるように感じたのだ。このあたりは完全に贔屓目だが、自分が気分良く人生を送るためだけの贔屓目にさほど害はない。

そんな私だが、社会人になってからは、基本的には学歴を隠すようになった。ちゃんと母校の格に即した職に就けばよかったのだが、元が田舎の野良犬だったため、そのあたりの空気が読めずにいい加減な会社に入ってしまった。案の定、社内でも取引先でも旧帝大卒の人は人生で初めて遭いましたなんて言われ続ける日々。まるきり珍獣扱いである。敬意を払われるわけでも敵意を向けられるわけでもなく、ただただどう扱っていいのか途方に暮れているようだった。私が馬鹿なことを言っても、これはなにか深遠な意味が込められているのかもしれないと深読みされたり、私の理解力が乏しくて理解できないだけのことも、説明する側の力量が不足していると受け止められて泣かれたり、大衆的な趣味の話に入っていっても、無理して話を合わせてくれなくてもいいよと遠慮されたり。勝手に卑下され自信喪失される経験がとても多かった。同じ内容でも、私の口から発するととても重たいニュアンスをはらむようになってしまったのだ。学歴が知られてしまった時点で、もう一般人のあんどうくんには戻ることができなくなってしまった。

町内会でもPTAでも、学歴は頑なに隠しているのだが、そのおかげで、誰にもなんの印象も与えない背景画の1モニュメントとして、ぞんざいに扱ってもらうことに成功している。この関係性が壊れないように慎重に生きていきたい。

冒頭の本で、小田嶋氏が現役の時に私の母校を受けて落ちていることを知った。私と彼とで30年の開きがあるので、倍率も難関度も全く異なるけれど、なんだか面映ゆい気持ちになった。尊敬する彼が受からなかった大学に入れたささやかな誇りと、彼の圧倒的な文才を前にしたときの、学歴というラベルのあまりの無力さ、心許なさが、心のなかで渦巻いている。

小田嶋氏も話がまとまっていなかったが、私もまとまりのない話になった。

やっぱり学歴について論ずるのは難しい。

こんなしょうもないことをぐだぐだと書いていないで、世に名を残す仕事をして、母校のラベルの価値を少しでも上げることに貢献しろよ、俺。