un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

お前はもう(思考が)死んでいる

妻から散々「人の話をとるな」と言われ続けてきたので、人の話を取るまい、余計なクチは挟むまいと、相槌に徹する訓練を積んできた。そのことには成功したのか、「人の話を取るな」と言われることはなくなった。

その代わりに、「人の話に関心を示せ」「自分の考えを表現しろ」と怒られるようになった。私が人の話を取らないように気をつけるには、自分の関心を殺すしかなかった。妻の話題で思考を巡らせるのを停止させ、内容が脳内を通過するのを必死で堰き止めてきた。意味を考えるとどうしても自分なりの見解が生まれてしまう。それを発話すると必ず妻の想定と異なる話の展開になる。それに妻は不愉快になるのだから、関係を険悪にしたくないなら、妻が発声したら脳内に相槌の言葉を列挙して、文の切れ目でランダムに相槌を発動させる機械に徹するべし。そうやって長いこと頑張ってやってきたのに、今更そのちゃぶ台がえしは無いよね。

もう、一度破壊してしまった関心発動装置は二度と同じ形で再現できない。自分がなにか感想を持つと恐怖心が先に発動するよう条件づけされてしまったので、自分が妻の話に感想を持つことができなくなってしまった。何一つ思考がまとまらない。我ながらよく頑張って洗脳したと思う。

仮にこの脳の機能を部分的に回復できた日が来たとして、また「人の話を取るな」という振り出しに戻るだけになりそうで憂鬱。私独自の感想や意見が、妻の言いたかった話や導きたかった着地点を常に侵害しないという状態って、論理的に考えてどういう会話の形態なのか頭のいい人誰か教えて。