un deux droit

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無意味なことの意味

昨夜はPTAの役割で、町内会の人と夜間パトロールをしてきた。拍子木を打って「火の用心〜」と声を張り、練り歩くアレ。死滅した文化だと思っていたが、持ち家エリアにはまだ残っていたのだね。北海道の地元でもやらなかった(隣家まで遠すぎて練り歩けない)ので、人生初体験。子どもを連れて参加したのだが、ともに要領がわかっておらず、周りをキョロキョロしながら調子を合わせた。

30分ほど町内を循環して、参加賞のゴミ袋を3人分もらって帰宅。いっしょに巡回した人もどこの誰かわからず、顔見知りになるほど、雑談するわけでもなく、年4回の巡回がどれほど防災意識の向上に役立つのかもわからない。私の預かり知らぬところで巡回リーダーの老人が極秘ミッションを遂行している、ということはあるかもしれない。とりあえず我が家にとっては意義を見出しにくいイベントではあった。

4歳の次女は「つまらない」という感想だったが、8歳の長女は案外楽しめたそうだ。普段出歩かない道を、普段出歩かない時間に、普段出歩かない人と出歩く。それがすでに非日常。一つ一つの催しは無意味な慣習であっても、それを繰り返すこと自体に意味があって、たぶんそれは地元愛の芽生えというやつなんだろうなと思う。