un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

カサンドラ症候群を都合よく使うな

妻の癇癪が止まらない。

普段通り会話しようと努めているのだが、一つのワードチョイスが気に入らなかったらその件について職質される、みたいな気の休まらない暮らしを強いられている。

そこで30分ほど費やしたあと、空気を変えようと別の話題を持ち出したら、今度は「あなたの話はほとんど主語が他人が事柄。普通の人なら気にならないけど、あんたの言い回しは他人を責めているような言い方に聞こえる。あんたにそのつもりはないのだろうけど、あんたはアスペだから自分が主語以外の話法を使う技術がない、ということだ。だから自分語りの独り言以外話すな」と叱責。これでまた1時間費やす。

その間、子ども達がユーチューブをダラダラと見ていたらそこにも飛び火し、そんなにユーチューブしか見ないなら他のおもちゃ全部捨てる、と激昂し子どもたちを縮み上がらせる。ユーチューブをやめるか、それ以外をやめるかの2択を迫る。子ども達は恐怖でしくしく泣くだけで回答できず、もう寝ろと子ども部屋に押し込める。最後に「大人を舐めるな。約束は守れ。」と発狂する声が家中に響き渡る。

その後また妻はリビングに帰ってきて、ブツブツ文句言いながら物に当たり散らしているのでうんざりしていると、「なんか声掛けはないんか」とこちらに飛び火してくる。目についたもの全部に当たり散らして思い通りにならないことに憤慨し、思い通りにさせようと躍起になる人物に話しかけるやつなどいるかね、と思う。なんでわざわざ傷つきに行かなならんの。口を開けば妻の態度に対する否定的なことしか言えなさそうで言葉を発せないでいると、妻は「これだからアスペは人が怒るとすぐ黙って嵐が過ぎ去るのを待つだけ。やってられんわ」と捨て台詞を吐いて風呂に消えていった。私はもう対峙する気力がなくなったので風呂に入らず寝ることにした。


そして朝。
今日は仕事もたくさん入っていて妻とやり合っている時間はないのだけれど、無視して出勤するわけにも行かないから憂鬱。妻から昨日はおかしかったと詫びてきてくれたら済むのだけれど、私が悪者認定なのは解除されないだろうから、私が口火を切って昨日フォローしなかったことを謝るフェーズからスタートなのかな。地獄だな。

案の定、起きてきた妻は私を無視。ここで引くとまたアスペと言われるので、追いかけて昨日のフォローが足りなかった旨を詫びるとマシンガンのように不満が溢れ出てくる。
結論としては
「二次熟語をできるだけ使うな。言葉の意味が抽象的な割に圧迫感がある。もっと平易な言い方で」
「事実と、事実に伴う感情の説明と、実際の感情にまつわる身体表現を切り離せ」
の2つを厳命された。(また二次熟語を使ってしまった。もしかしたらブログの習慣が書き言葉を話し言葉で使いすぎる原因かもしれない。)
前者は完全に好みの話なので納得するしないに関わらず合わせるしかない。後者は例えば「○○しないでって言ってるでしょ!」と怒気をはらませて言ってはいけないということ。
もう少し補足すると、
①「○○はしてはいけない」(情報)
②「○○をされると気分が悪い」(感情に対する情報)
③甲高い大きな声(感情にまつわる身体表現)
送り手は①→②→③の順に思考し、表現している。しかし、受け手としては③に対する恐怖・嫌悪が立ち上がり、次に②で③の原因(怒鳴っているのは気分が悪いからだ)を理解するのが精いっぱいである。①で②の原因(気分が悪いのは○○のせいだ)まで思いを馳せるのはなおさら困難だ。でも本当に伝えたいのは①なのだから②③は余計である。ここまでが妻の言い分である。
わかるようなわからないような。むしろ①②③の要素がパッケージされていて初めてメッセージになると思うので、この部分も肚落ちさせるのがちょっと苦しいのだが、②③の感情部分を排して、①だけを抽出してほしいというのだからそれにも従うしかない。

私がアスペで妻がカサンドラ。もうこの枠組みを妻は崩す気がない。そうすれば妻は永久に被害者でいられる。でも一つだけ言えるのは、カサンドラ症候群の人はアスペに振り回されて摩耗し無気力になるのだ。攻撃的、他罰的になる人はカサンドラではない。また別の病気だと思う。私はアスペかもしれないが、だからといって妻もカサンドラとは限らない。例えば境界性パーソナリティー障害だから、アスペを引き寄せる、なんて構図もありうる。とりあえず言えることは、私たち夫婦はどちらも心療内科に言った方がいいということと、先生の診断には素直に従う謙虚さが必要ということ。私はアスペを受け入れるけれど、妻はどうだろうか。