un deux droit

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洗脳からのエスケープ

数カ月ぶりの家出生活。とりあえず何をする気もなく、近場のイオンに常設されたミスドでコーヒーを飲み、気持ちを落ち着かせる。ピカチュウとプリンのドーナツが心苦しくなる。子どもを妻に押し付けて、おそらく自分はこの家を去ることになるからだ。

きっかけはいつも通り些細な事。ちょっとした私の物事の進め方が妻は気に食わなくて、そんな些細なことが気に食わない妻の神経質さにまた私が気に食わない。そんなことで、と思える些細な事柄くらいで破滅的な局面を迎えるくらい、私たちはお互いの存在を疎ましく思っていたというだけの話だ。私は妻の思い通りにはならない。妻はわたしを思い通りにしたいわけではないが、結局は妻の望む行為を私が自発的に選択しないと許さないというので、間接的に妻の思い通りにならなければ一緒に生活できないと言う。わかったあなたの思い通りにするよ、と言うと、私の思い通りというとにして責任を押し付けないで、と返ってくる。じゃああなたの気に食わないという思いを取り下げてよと言うとそれはできない、と返ってくる。互いが互いをがけっぷちに追いやるほど相手の存在が受け入れがたいものになっている。

子ども達は妻が義母と育てるだろう。場合によっては義母と同居するかもしれない。3世帯住宅として使うことも十分に可能な一軒家。こうやって私一人が追い出されてみると、父OUT、祖母INでむしろこれで収まり良くなったんではないかとすら思う。最初から異物は私だった。

独り身の生活は何の計画もない。とり急ぎホテル住まいで、早めに安めのアパートを見つけよう。見つけたら私の私物は着払いで段ボールに詰めて送られてくるはずだ。どうせ私物など大した量はない。この結婚生活で大半を処分したのだ。妻の気に食わないもの、邪魔なものはすべて処分した。もう私が選んで購入したものはあの家に残っていない。はなから離婚前提でミニマリスト生活をしていたようなもんだ。できるだけ切り離しが容易なように小さくまとめてきた。

子どもに未練はないのかと問われると、この数カ月で気持ちが途切れつつあるのを感じている。子ども達も、妻が私を罵倒し嘲笑するのを真似するのがだんだん辛くなってきた。子どもの中で私の存在感が徐々に薄れているのも実感している。一生懸命子どものために頑張ってはきたが、肝心の愛情を与えることはできていなかったように思う。なんというか、妻にくそみそに言われる日々が続いたせいで、自分の考えや長所や価値観や感情が本当はどこにあるのか、まるでよくわからなくなってしまったのだ。好きとはどういう感情だっけ?ここは自分の意見を言うとこ?それとも黙って見守るとこ?なにをやってもその反対が正解だと言われ続ける生活で、完全に頭がイカれている。まずは自分の欲求がどこにあるのか見つめなおすリハビリをする必要がある。子ども達が妻の純粋培養で次のモンスターに育たないことを祈っている。シンプルに毒親だと思うが、私が毒親の可能性も否定できない。両方が毒親の可能性もある。人狼で言うところの狂人状態。もう自分含め誰が人狼かわからない。