un deux droit

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箱根駅伝好きは何処に?

箱根駅伝が好き、と公言するのがはばかられる時代となって久しい。

以前、箱根駅伝が好きだと不用意に発言すると、「退屈な正月の貴重な暇つぶしに貢献するテレビ番組の中で、最も長い尺を使い潰す忌々しいコンテンツ」と吐き捨てられたことがある。駅伝コースの周辺に実家のある人物に出会ったことがあるが、駅伝の渋滞に巻き込まれるのが嫌で元日のうちに実家をエスケープするらしい。「あんな都会のど真ん中を我が物顔で堂々とぶった切る迷惑なスポーツは他にない。箱根駅伝を好きとか軽々しく言うお前みたいなやつが消滅しないから俺は苦しみ続けている」と呪詛をぶつけられた。

それくらい方々で忌み嫌われている箱根駅伝を、まるで隠れキリシタンの気分でチェックしている。

妻もご多分に漏れず箱根駅伝嫌いで、1月2日、3日の午前はザッピングで日テレを放映することも許されないので、妻の目を盗んでスマホで日テレの特設サイトにアクセスし、選手が走っている現在地をマップ上の点の動きで確認できるページを断続的にチラ見し、タイムの羅列を眺めることで箱根駅伝への憧憬を慰めている。2023年の私が箱根駅伝を愉しむのに赦された情報は襷の色と数字と点の動きのみ。それらの情報を脳内で統合しながら、「この人抜かれたけど、タイム自体は全体の中で上位だな。抜いたほうがチートか」「こんなに抜かれることある?」「ゴボウ抜きしたこの選手より、先頭ランナーのほうがタイムいいのか」「シード権絶望と思ってたのにここから巻き返すか」と想像で箱根駅伝を楽しんだ。

自分でも、なぜ箱根駅伝に惹かれるのかうまく説明できない。出雲駅伝も全日本駅伝もニューイヤー駅伝も全く見ない。興味があるのは箱根駅伝だけなのだ。おそらくあのユニフォームのカラフルな色合いと、アナウンサーの巧みな実況を何度の何度も反復して見聞きするうちに、その刺激を欲する脳になってしまったのだと思う。白黒画面で、実況がなければこんなに箱根駅伝にはまることはなかったはずだ。今ではユニフォームだけを並べられただけで興奮するし、「戸塚中継所をトップでタスキリレー!」という甲高い実況はいつでも脳内再生できる。初めて箱根に遊びに行ったときは、箱根そのものよりも、その途中にある小涌園や函嶺洞門や大平台のヘアピンカーブに心奪われていた。幼少期の刷り込みとは恐ろしいものだ。

そんなわけで、出場する大学のOBOGであっても、箱根駅伝を快く思っているとは限らない。例えば早大なんかはほかにも強いスポーツがあるし、そもそもシンプルに学力で勝負できるので、箱根の話題を振られたとて喜ばない。じゃあ箱根駅伝でしか目にすることのない(失礼)大学卒業生なら喜ぶかというとそんなこともない。皆考えることは同じで、〇大といえば箱根、と思いつくので、その話を振られすぎていて振られた側が白けている。大東文化大学の卒業生が会社の同期にいるのだが、入社式で「お、山の大東じゃん」と軽口をたたいたところ、「もうそのフリ100回はされてきたわ」と半笑いだった。同校関係者にとっては誇りというよりスティグマになっていた。駒澤、東海、東洋、城西、亜細亜、國學院、国士館、山梨学院当たりの卒業生にあったら駅伝の話をしないよう気を付けなければならない。

死ぬまでに城西大が優勝するのを見たいなぁ。多分泣いちゃう。