un deux droit

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「されたかったようにしてあげる」の落とし穴

仕事初め納め。全然エンジンがかからず倦怠感だけが残る。

子どもたちを迎えに行き、買い出しへと近所のモールへ行くと、ゲーセンに行きたいだのおやつがほしいだのとわがままを言うので心がささくれた。

あんなにクリスマスプレゼントをもらったのにまだおもちゃを欲しがるか。

あんなにおやつを沢山食べたのにまだおやつを欲しがるか。

あんなに休みの間遊び倒したのにまだレジャーを欲しがるか。

ちょうどよい頃合いというか、足るを知るという塩梅がまるでなく、甘やかせば甘やかせるだけ甘えてくる底抜けの甘ったれ。

自分が幼少期、満足におやつやおもちゃを与えられなかったので、自分の子ども達にはできるだけむやみに制限することはしないようにしたいと思っていたが、制限しないで済むことに喜びを感じるかというとそんなことはなかった。どちらかというと強欲な様を憎しむ気持ちが抑えられない。

してもらえなかったことの哀しみを、我が子に反転させてしてあげることで代償になるのかなと思っていたが、そう簡単ではなかった。シンプルにしてもらいたいことを親にしてもらうことでしかこの心の空白は埋まらない。そこを埋めてから我が子にお返しする、というプロセスを面倒でも踏むしかない。人の心は複雑で、プロセスを横着して騙すことは難しい。