un deux droit

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読書感想文が苦手な君へ

もうすぐブログを始めて1000記事になる。そういうことは1000記事目に書くべきことなのだが、そういうことを気にしなくていいのが過疎ったブログの良さである。

よくもまあこれだけの量の文章を綴ってきたものだなあとしみじみ思う。これだけ書いて読者登録は200人程度だし、アクセス数から見れば実質20人程度にしか読まれておらず、アドセンスの初回支払いを受け取るにはあと5年位かかりそう。それくらいの商品価値しか作れていないので、自分の文章には対外的に見て価値はない。そんな現実を日々突きつけられながらも、恥ずかしげもなく淡々と文章を生成し続けられるようになったことに一抹の感動を覚える。

ブログで飯を食えるほどの才能は私にはなかったが、文章の生成を習慣化できたことは自分にとって財産になった。内容はともあれ、文章を生成するのにかかる時間が圧倒的に短くなった。そして、世の大半の人が文章を生成する習慣を持ち合わせていないので、そういう人からすれば私は文章の上手い人に見える、という特典もあった。運動習慣のない人からすれば毎週ジョギングしているだけの人でも身体が引き締まって見えるだろう。たとえ走っている本人はタイムが全然向上しないなと嘆いていたとしても。さっき読者は200人と言ったが、その読者のブログを覗いてみると更新を停止している方が本当に多いので、1000記事も書き続ける時点(まだ書いてないが)で、かなり希少な人間なんだと思う。

ブログを始めた当初は、何度も投稿しては、読み返して恥ずかしくなって消す、という行為を繰り返していた。誰にも読まれていないのに、読まれうる場所に自分の文章を晒したままにしておく、という行為に悶えるような気恥ずかしさを覚えていた。だから最初の2年くらいはほとんど書けていない。そんなに恥ずかしいなら日記帳でも書け、あるいは非公開でやれよと言われそうだが、ひょっとしたら誰かに面白がってもらえるかもしれないという下心も一方であったのだ。見られたくないのに見られたい。倒錯した欲深い人間だ。

元々は文章を書くのがめちゃくちゃ苦手だった。小学生の頃は読書感想文が地獄だった。夏休みの宿題は夏休みの折り返し前には片付けていたのに、読書感想文だけはいつもぎりぎりまで鉛筆が進まずもがいていた。大学は卒論がないという理由で法学部に進んだ。就活ではなにがしかの作文をエントリーシート段階で要求する会社はことごとく回避した。志望動機ですら書き上げるのに苦心した。その苦労を極力味わいたくなくて、最初に内定をくれたところに就職を決めたくらいだ。それくらい作文を嫌悪していた。

それが今やほぼ毎日なにがしかの駄文を性懲りもなく書き続けている。書こうと思えばほぼ無限に書ける気すらしている。なんで頭に思い描いたものをただ文章化するだけのことがあれほど難しく思えたのだろうかと不思議に思う。こんなに抵抗なく書けるようになる日が来るのなら、あのとき諦めたあれこれは早計だったなと後悔する判断が多々ある。

文章生成に対する苦手意識の克服策は唯一つ。ひたすら書き続けるだけ。英語もとにかく話し続ければ巧拙は別にして会話は成り立つようになるのと同じで、文章生成を司る脳ミソの部位を延々と刺激し続けるだけで、いつしか苦痛を覚えなくなる。書く筋肉がついたのだ。だからもうブログを辞める気になれない。誰に読まれなくとも、一旦ついた筋肉を落としたくないがために書く行為を続けるのだ。もう文章を書くのが苦手だったときの自分に戻りたくない。

私がブログを始めるきっかけとなったのは、ちきりんさんだ。地位や肩書があったのに、その威信を借りず、文章力一本で多くの人を唸らせる様がカッコ良かった。自分も下手で構わないから、真似事をしてみたくなった。はてなブログを選んだのも、ちきりんさんが使っていたというただそれだけの理由。人生で初めて、文章を書いてみたい、という欲求に駆られた。彼女の存在を知ることができたことには本当感謝している。

ちきりんさんは、「12歳の頃の私」に向けて書いている、とブログで綴っている。
chikirin.hatenablog.com
12歳のときの自分が知りたいと熱望した「社会のリアル」についての良質な情報を、当時の自分と同じくらい多感な、今12歳を生きる少年少女に届けたい。カッコ良すぎるだろこんなの。自分の12歳のときなんか社会にまるで興味がなくて、ポケモンマスター目指してゲームボーイとしか向き合っていなかったぞ。私はそんなかっこいい目標を持てない。

自分が12歳の自分に向けてブログを書き続けるとすれば、感想を書くのは怖くない、ということをわからせるためだ。こんな中身のないことを必死に毎日書いてるオッサンがいる。たかが読書感想文ごときで何を思い悩むことがあろうか。そんなふうに12歳の誰かが思ってくれたら本望だ。感じたことを感じたままに綴ることの敷居を可能な限り低くしたい。

あの時書けなかった読書感想文の苦しみの反動で、これからもとりとめのない日々の感想を書きまくってやろうと思う。文章を生成することへの苦手意識を克服した自分は、今この上ない身軽さを楽しめている。