un deux droit

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消極的希望を成就させるのは案外難しい

年末の大掃除。賃貸時代は真面目にやったことのない換気扇フィルターを片っ端から引っこ抜いて埃を取り除く。持ち家になった途端メンテナンスに精が出るというのは我ながら現金なものだ。24時間換気システムだからか、住んで半年でもかなりの埃の量。妻が、引っ越してから床の埃が溜まりにくいということを言っていたが、換気システムのおかげか。今までの賃貸暮らしではまともに掃除したことなかったので、ほとんど換気の体をなしてなかったんじゃないかと思う。

続いて窓拭き、トイレ掃除と続け様に行い、合間を縫って食事の準備。兼業主夫に休みはない。

今日は外出がなかったので、子どもが一日中パジャマで過ごしていた。長女が「洗濯物が減ってよかったね」と妻に言う。それを受けて妻は「一着減ったくらいじゃ私の仕事は無くならないの。その余力があったら今度は布団干したりカーペット干したり…」とムキになる。長女は、いつも大変そうな妻を案じて、少しでも負担を減らすことに貢献できた、端的に言うといつもお疲れ様ということを言ったのに、今日はお前暇そうだな、という意味で受け取るとは。めんどくさいなぁ。仮にも暇なら暇でいいじゃん。たまには暇を享受すれば。

挙句の果てには矛先は私に向かう。「いいよね、食事担当は。外食になったらまるまる仕事がなくなるんだし。楽な担当よ。」と嘯く。栄養バランスや献立のバリエーション、それぞれの好みを勘案して気を揉みながら日々料理をしているのでその言い草には少し傷つく。

おそらくは、妻が日頃担当している家事に対する私のリスペクトが不足しているという訴えなんだと思う。他人にしてもらいたいことは自分からすればしてもらえるようになる、なんて話をよく聞くが、別に自分は感謝されたいわけじゃない。文句を言われたくないだけ。されたくないことをされないためにはどうすりゃいいんだろうか。「思ったとおりになる」という積極的希望に成り立つ法則はよくあるが、「望まぬことにならない」という消極的希望はなかなか叶いにくい。でも自分は消極的希望の塊。快を増やすより不快を避けたい。生き方の指針の初っ端から構築を仕損じた感がある。