un deux droit

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一肌脱ぎたくなくて一肌脱ぐ

今日は学童保育を利用している保護者で、小学校の秋祭に出す出店の企画会議に参加した。

そもそもなぜ小学校で秋祭が開催されているのか、そしてそれになぜ学童保育の保護者が出店しているのか、そしてその出店がなぜその年々の任意ではなく強制で、保護者会が決めた役員に参加を断る権利がないのか、何一つわからないけれども、単なる同調圧力を理由として顔を出した。

聞けば、いつだかの年の保護者会で、学童保育施設のおもちゃがリニューアルしないことを不憫に思い、その元手を出店で稼ごう、とスタートしたのが始まりで、以後前年踏襲でダラダラと続いてきたらしい。もちろんおもちゃが新しくなることは喜ばしいことだが、それならそうとカンパを募っておもちゃ購入の予算に充当してください、と事務局に渡すか、おもちゃを購入して寄付するか、そのどちらかを取れば済む話だと思う。
けれどもなぜかその手段は取らず、秋祭りへの出店を経由して資金調達をするという回りくどいやり方を頑なに継承しているようだ。しかしその是非について突っ込むのも藪蛇なので、前例を所与のものとして波風立てず、最も労力の少なくなる着地点に収まるよう保護者同士で目配せしながら会議に参加した。

くじ引きで決まった隊長が、メンバーを3チームに分ける。当日の動線を考えるチーム、あらかじめ公募していた不要品から景品を整理するチーム、ミニゲームを制作するチームだ。わたしは景品チームになった。

一見効率よく見えた役割分担だったが、すぐに破綻した。とりあえず景品を参加賞、当たり、大当たりくらいに選別していたのだが、そもそも集客の見込みがわからないからこれで足りるのかの判断がつかない。それ次第ではそもそものゲームの設計も、景品の数に合わせて調整してもらう必要がある。

まぁ足りなくなったらなったで別に素人集団の催しだし、誰から責められるわけでもない。わざわざ事を荒立てて全体調整を図ってやる義理もない。しかし持ち前のお節介気質がむくむくと立ち上がり、隣のチームの動きに首を突っ込んでみた。

まずは動線チーム。ここに隊長がいて、過去の催しのデータは隊長が握っている。過去の催し物の収支データを見せてもらい、売上÷単価で参加人数が約500人ということを明らかにした。500人。全校生徒の半分強にあたるのであり得そうな数字だ。

問題は4時間で500人を捌く想定になっているか、という事だ。これは結構とんでもない流入量だ。祭りの時間4時間で割ると1分あたり2人強捌く必要がある。早速制作チームがチーム内だけで盛り上がってめちゃくちゃ凝った設計になっているものは時間がかかり過ぎるので思いっきり簡素化する必要に迫られた。そして動線は2本用意することにした。それでも1人1分も割けない計算になるけど、割り当てられた会場の広さとスタッフ側の保護者の人数の制約から2本が限界だった。制作チームには同じゲームを2セット作ってもらうことにした。
そして景品。手元にある景品になりそうなものは100ちょっと。お話にならない。しかも動線チームの計画では、得点が高ければ高いほど商品の数が増えていくシステムを考えていて、景品必要総数が1000を越える試算になっていたので、ゲームのルールを景品チームが握ることにした。とりあえず安い飴玉で参加賞を大幅に傘増しすることにして、景品より名誉をプレゼント、ということで超難度の的に当てた子どもの名前をデカデカと掲示することにした。バッティングセンターのホームランの的みたいなもん。ゲームを簡素化して暇になった製作チームが「挑戦者求む!」という小学生を煽る看板を嬉々として作ってくれた。

こうしてなんとか話がまとまった。これとて予測に過ぎないから当日はどうなるかわからない。ただ想定の粒度を細かくしておくことは当日の臨機応変な対応力に繋がる。それにしても、あまりでしゃばらないように、けれども効果的な運営になる方向に物事が進むように、そっと介入するのは気疲れがひどい。これから仲良くするわけでも、継続的にプロジェクトを運用するわけでもない一期一会ならぬ三期三会くらいの中途半端なチームで即席で何かを成し遂げる必要に迫られることは今後もあるのだろう。完全にギャラリー(お荷物)に徹するのも時間の無駄だし子どもの立場が悪くなる。かと言ってあまり口出ししてリーダーをやらされるのも勘弁。できればこういう場自体が発生しないようにしてもらいたいものだ。