un deux droit

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はい排卵日。
妻が私の家事の進め方で気に食わないことがあり、それを詰った。「ありがとう、でもこのやり方のほうがいいな」で済む話で、その認識の違いを理解し、調整する能力を信じてほしい。なのに、「なぜ言われる前にこの方法が思いつかないのか」と価値観や慣習、知識や技術そのものの違いや多寡を咎められると、何か自発的に家事に貢献しようという意欲を挫く。その喧嘩腰モードはお願いしたことを何度も反故にしてきた時に初めて発動すべきプレーだ。


頭ごなしに自分のやり方を否定された当人は、言われたことしかやらなくなったり、何でもやる前にいちいちお伺いを立てるようになる。それはそれで嫌だと言うのはわがままでしかない。他人が協力して生活しているのだから、自分の思った通りにならないことはままある。でも相手方は意地悪して相手の嫌がることをしようとしているわけではないのだから、その差異は許容すべきだ。「じゃあお前は米を洗剤で洗われたらそれを指摘しないで食えよ」みたいな暴論を妻はすぐ飛ばすが、それとて驚きで受け止め、その米は申し訳ないけど廃棄し、冷静に「違うよ」と対話し、分かり合えなければ役割を交代するだけだ。(おそらく一口食してみれば相手もなぜダメかわかるはずだ)すぐ常識がないとか育ちが悪いとか、人格否定に走るのは良くない。多少腹を立ててしまうこともあるだろうけれど、怠惰や横着のそれとは峻別して、ネチネチと攻撃するべきでない。

とにかく妻は生理の類の時期になると、わざわざ人のやっていることをパトロールしてそれを咎めたくなる性質がある。目についてしまう、と言うけれど、自分からわざわざ出向いて人の仕事の出来栄えを確認しに行っている。この小姑形態に変化するのをどうにか自力で自制してほしい。なにしろこの期間に定められたルールは生理が終わると何一つ覚えちゃいないんだから。