un deux droit

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ピアノレッスンは侮れない

長女を4歳あたりからヤマハのピアノレッスンに通わせているのだが、半分娘の付き添い、半分趣味で私もテキストの楽曲を弾いて楽しんできた。最初は子どものままごと程度にしか思っていなかったのだが、徐々に和音が増え、ついていくのが大変になり、今では長女より必死になって練習している。

私は貧しい田舎で生まれ育ったので、ピアノはこれまで金持ちの道楽としか思ってこなかった。言い方は悪いが曲芸の一種というか、けん玉や一輪車のように「誰でもできるわけではないが、できるようになったところでさして人生の役には立たない芸の一つ」と決めつけていた。うまく弾けるようになったところでプロの演奏家として食っていけるのはごく一握り。あとは音楽の教師になるか、自分で教室を持つかぐらい。ピアノを誰かに教えるためにピアノを学ぶ、という堂々巡り感があるなと思っていた。

けれども、順を追って学んでみるとピアノを演奏すること自体にいろいろと効用があるなと思い始めた。その中で最も価値があると感じたのは「リズム感」だ。単純な曲でも真面目に弾こうとすると、一定のリズムで一つの動作を続けることがこんなにも難しいのだなということがすぐにわかる。このリズム感の有無が、実は会話の巧拙に影響を与えているのではないか、というのが私の仮説だ。

一つの音節に詰め込める音符の数は決まっている。実は会話も同じなのではないか。このリズムが崩れた発話は相手には聞き取りづらい。逆に言うとピアノをある程度の期間練習した人間は、会話も適切なリズムを刻むことができるのではないだろうか。私の会話が聞き取りづらいと妻はよく文句を言うのだが、ピアノを続けることで改善できるかもしれない。

こんなことを意識しながら妻との会話を試してみた。彼女は10年以上ピアノを練習してきただけあってリズム感のある発話はバッチリだったが、耳に休符がついたままだったのでどのみち聞き取ってもらうことは難しかった。