un deux droit

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印刷会社を退職しました(代筆)

「離職者もすなる退職エントリといふものを、残留者もしてみむとてするなりーーー」

昨日、7年勤めた会社を退職しました。

前職と合わせて20年以上に亘り、広報物の制作業務に携わってきましたが、紙媒体の急速な需要の減少により、将来の自身のキャリアについて見通しが立たなくなり、退職という決断に至りました。

この業界を選択したいきさつ

幼少期からタウンページを読み漁ったり、新聞に挟まっているチラシを集めたりという「商業用の紙」に執着する変な子どもで、小学校でよく開催されるポスターや標語などのコンテストには片っ端から挑戦していました。「グラフィックや短い言葉で伝えたい事を端的に表現し、人を惹きつける」という営みに知恵を絞るのが楽しかったのです。自然、広告代理店のような業界に憧れを抱くようになりますが、美大にいけるような学力や才能がなく、デザイナーの専門学校に通うのが関の山でした。
専門学校を卒業した私が最初に就職したのは、いわゆる「タウン情報誌」と呼ばれる地域密着型の出版会社でした。元々は誌面作りのデザイナーとして採用されたのですが、次第に取材そのものにも出向くようになり、特集の企画などもやるようになりました。それはそれで刺激的な仕事ではあったのですが、自分が一番強みを感じていたデザイナーとしての仕事は、定型のコマ割りと色づかいの範疇での作業しかなく、クリエイティビティという観点では刺激に欠ける仕事ではありました。
その後、大口の広告を出してくれていた会社が撤退してしまい、事業の縮小や取材予算の減少、退職者の増加などが続きました。私自身にも広告を取ってくる営業の仕事を振られるようになり、流石にそれはもう自分の仕事ではないと思い、退職を選びました。

キャリアの変遷

その後、自治体の広報誌を作る会社や求人誌の会社などを転々としたのち、昨日まで勤めていた会社と出会いました。
その会社は自治体の広報誌を作っていた会社の部長だった方が独立して立ち上げた印刷会社でした。紙媒体の発行物に限らず、webや映像、ロゴやノベルティ製作など、さまざまな媒体を取り扱っていました。「媒体ありきではなく、伝えたいメッセージありき」で、「広く報せる」という手段を通じてクライアントの実現したい事を具現化するんだ、という意気込みに共感しました。小さな所帯ではありますが、昔思い描いた「広告代理店」のような仕事に就くことができました。
新しい会社では、自治体とのコネクションを活かして、町おこしや地方創生といったテーマでPR動画を作ったり、中小企業のビジョンづくり、社長のインタビュー動画、グラフィック化などの仕事をやるようになりました。半分営業、半分製作といった感じです。前職と違って媒体の枠組みにとらわれず提案ができ、形となっていくことに、自分がやりたいと思っていた仕事のあり方に近づいている手応えを感じました。

再度の行き詰まり

仕事自体は順調に拡大してきましたが、当初意気に感じていた会社のビジョンと、実際に請け負う業務との性質のギャップを感じるようになりました。せっかく良いクオリティの製作ができても、実際にそれらの作品が活用される場面の設計自体はクライアントに委ねられており、効果的でない展開がなされたり、ともすればほとんど活用されることなくお蔵入りに近い形で死蔵されることもままありました。作ること自体がゴールになり、そこで息切れしてしまい、本当にその作品のメッセージが受け取り手に価値をもたらすところまで到達できない歯がゆさを感じていました。もちろん我々制作業者は作るまでがゴールなので、そこでお金がいただけ、事業が存続できます。しかし、「商売」が成立している以上の価値が今の私の仕事にはないのではないか。制作物がターゲットとする対象に届いて、制作物が意図するメッセージがターゲットに届いて、ターゲットの行動を狙った方向に誘導する、というところまでできて初めて自分の仕事に金銭的な意味以上の価値が生まれるのだ。そのように自分の思いを整理したとき、今の手元の仕事があまりに味気なく感じ、再度転職を考え始めたのです。

今後の展望

そしてこの度、縁あって某事業会社の社内広報チームメンバーとして転職をすることができました。自社の生み出したい価値を整理し、それを社内に浸透し、社外に広く打ち出し、その情報を必要とする人に効果的に届けるまでをデザインする仕事です。外注業者の立場と異なり、「顧客」は勤める会社の経営陣で、届けたい価値を「経営陣の考え」という、一つに絞られます。その一つの課題に対して、それを届ける手段や手順の設計など無数にある打ち手をじっくり考え、実行に移し、その効果や反応の観察をじっくり楽しんでいこうと思います。その会社の「届けたい価値」に私自身が共感し、惹きつけられている限りは頑張って働き続けたいなと考えています。今までお世話になった方々から得た学びを活かし、社会に還元していきたいと思います。


◆◆◆

昨日、取引先の担当をしている佐藤さんから「会社辞めます」というメールが飛んできた。私の顧客が製作を希望する広報誌を、実際に制作する下請けの印刷会社の社員だ。私は企画立案と原稿やデザインのラフまでやって、実際にイラストレーターにおこすのは業者さんにやってもらう。技術はあるけどアイディアがない者と、アイディアはあるものの技術がない者とのもたれあい。お互いに中途半端な付加価値しか産めないところを合わせ技で誤魔化すという将来性の薄いサービスである。

佐藤さんが辞めたその会社は4、5人で回していた零細企業で、社長と、営業の佐藤さんと、デザイナー数人しかいない。佐藤さんが辞めて、社長が営業業務を引き継ぐとのこと。うーん詰んでる。

メールには「コロナウイルスの影響もあり、退職させていただくことになりました」という不可解な文面が書き殴られていた。印刷業の盛衰にコロナの影響は関係があっただろうか。むしろ随分前から紙媒体の発行物の需要が激減している。その投げやりなこじつけが悲壮感を漂わせていた。

私はこの佐藤さんに直接お会いしたことがない。大阪に拠点を構える会社で、福岡でなかなかちょうどいいクオリティの成果物をお手頃な価格で仕上げてくれる業者の開拓に苦慮していたところ、大阪事務所がこの会社にお世話になっていたので、福岡の案件も面倒みてくれませんか、と泣きついたのだ。

それが約8年前。電話とメールだけで要領良くこちらの要望を捕まえて、そこそこのものを早めに仕上げてきて、納期に余裕を持って納品してくれる佐藤さん。印刷会社の営業はデザイナーのディレクターを兼ねているので、こちらのイメージをうまくデザイナーさんに伝言して忠実に再現してもらうのはなかなかの技術がいる。直接デザイナーさんとやれば済む話かと言えばそうではなく、デザイナーさんの得意なデザイン、好みのタッチ、デザイナーさんがイメージしやすい表現方法など「癖」を見極めて、こちらの要望を叶えてくれそうなデザイナーをあてがい、うまく手綱を握っていく。佐藤さんはその辺りがとてもエレガントだった。

8年もお世話になったのに、名前と声しか知らない佐藤さん。たった1通のメールで消滅してしまう淡い間柄に少し感傷的になる。お世話になったのにも関わらず、手元に残った佐藤さんの輪郭の覚束なさに虚しさを覚える。自分が今の仕事を辞めても、その存在を時折思い出してくれるような、それだけのインパクトを残すような仕事をしてきただろうか。別に相手の人生に何の影響も与えない存在で構わないと、ここ数年は割り切って仕事をしてきたのだけれど、働くということの意味を問い詰めると虚しくなった。そこで佐藤さん本人に代わって妄想で勝手に退職エントリを書いてみた。書いてあることは全て佐藤さんの文面と声色と仕事ぶりといった記憶を紐解いて描いた私の想像であり、真実は1ミリもない。きっとこういう人で、こういうポリシーを仕事に持っていて、このようなキャリアを選んだんだろうな、という無責任な願望。佐藤という名前すら嘘だ。嘘で意味をこじつけもやもやを昇華させていただいた。佐藤さん(仮名)大変お世話になりました。佐藤さんの新天地(あれば)でのご活躍とご多幸をお祈りしております。