un deux droit

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幸福感の資産運用

妻の実家でお正月。運転なので、とお酒を固辞すると「こんな時くらい飲ませてやりぃよ」と妻が責められていたが、ノンアルコールをいただく。子ども達は従姉妹とキャッキャといつまでも戯れていた。
妻の兄の会社はコロナ禍でも業績好調のようで、本人も順調に出世を重ね、羽振りの良い様子。会社が小さい頃に入り、上の世代が定年を迎え、あくせくせずともポストが転がり込んできたようだ。仕事は実力よりも初期のポジショニングの影響が大きいなぁとしみじみ感じる。
妻の兄は飲み歩くのが好きで、午前様になることもしばしば。後輩の面倒見が良く慕われている点も登用の重要な要素だろう。「お前もそんな面倒な女と結婚して自由が効かないからうだつが上がらないんだ」と顔を合わせるたびに言われるのは気分の良いものではないし、男一人の人生としては羨ましいと思う。しかし、自身の健康の犠牲の上に成り立つ幸せであることは彼の腹回りを見れば明らかだし、世帯年収では絶対こちらの方が上なので、幸せの形は人それぞれだと思うように頑張っている。お酒が一滴も飲めない生活は体への負担が少ないのだ。飲酒の幸福感は脳が騙されているだけで、腎臓に余計な負担をかけ、酔いの回復のために貴重な時間を無駄にしている。
私の暮らし方は今味わえるはずの幸福感を全て使い切らず、余剰資金として寝かせ、投資に回しているようなものだ。時間を享楽に使う代わりに読書やブログの執筆、家事育児能力の遂行、運動に充てることで、年老いて以降も人生を楽しみ続けられるための基盤作りを複利で運用している。本は読めば読むほどいろんな本を読むための基礎知識が増えて楽しみが膨らむ。ブログも書けば書くほど色々な表現や文章構成を駆使するのが自在になる。庶務の捌き、業務改善能力、コミュニケーションスキル、問題解決能力、基礎体力は今後どんな楽しみにハマることになっても活用可能だ。書けば書くほど言い訳がましくなって虚しさが増すが、20年後に今書いたことが事実として証明してやるのだ。