un deux droit

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家族全員が気分良く暮らせる均衡点を求めて

明日でようやく連休最終日。子ども達が休みを重ねるごとに態度がどんどんふてぶてしく、横柄になってきた。姉妹でおもちゃを取り合うとすぐ手が出たり、片付けがおざなりだったり、ものを大切にしなくなったりとモラルが崩れだす。
長女はお風呂場で、100均で買ったじょうろを次女に頑として貸さず「10回たたかせてくれるなら貸してあげる」というとんでもないことを言い放った。次女は「たたいていいから貸して」と言った。そして本当にたたき始めたから「おねえちゃんさすがにそれはとっても嫌な子なんじゃないか、たたいたら気がすんでようやく貸してあげるような気持ちになるような人はお父さんは嫌いだ」とはっきり言ってしまった。じょうろを取り上げることはせず、言葉で軽蔑の意を伝え、結果的にじょうろで張り合う気持ちを萎えさせたのだが、これで良かったのかはよくわからない。無理やり取り上げても尊重されていない気持ちになるだろうし。でもこんな幼児向けのおもちゃで6歳児がムキになるのは未熟すぎないかと呆れてしまう。
普段より構ってもらえたりもらえるおやつが増えたりして叶う望みが増えると、気持ちが満たされて心に余裕が生まれて調和的な振る舞いを取るようになるのかと思いきや、つけ上がって調子に乗ってくる。非日常は非日常として楽しみつつ、日常的にやるべき事を疎かにしてはならないのだと物事を分けて考えられるようになるにはもう少し成熟を待たねばならない。
折悪しく今日は妻の生理が近づき、精神的余裕が無くなっていた。妻は子ども達のわがままや諍いのシャワーに晒されて堪忍袋の緒が切れ、かなりの剣幕で子ども達を叱り飛ばした。子ども達はすっかり萎縮して震えるように布団にくるまって眠った。いつもは父に向けられる刃が自分達にも向くことを知ったようだ。暴力は振るわれていないものの、妻が私に暴力を振るう様は目にしてしまっているので、妻の発狂は効果が強すぎる。
長女には枕元で「自分のしたいことを言うのは我慢しなくていいけれど、自分のしたいことと誰かのしたいことがぶつかったときに、何でもかんでも絶対自分のものにしようとしないで。本当に大切なことなら我慢しなくていいけど、ただ妹に負けたくないだけのときは頑張って譲ってあげて。」と言っておいた。ほとんど理解はできていないだろうけれど、何度も言い続けるしかない。
子育ては本当に難しい。手を上げてはいないものの、言葉の暴力は浴びせてしまっているのなら五十歩百歩ではないかと思う。長女の性格がひん曲がっていているのか、次女の性格が強情すぎるのか、私たち夫婦が狭量すぎるのか、そのどれもなのか、そのどれでもないのか、誰がどこまで譲るべきなのかもう何が何だかわからないや。