un deux droit

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氏名の識別容易性と社会の設計との関連性

今週のお題「下書き供養」

去年の下書き。尻切れ蜻蛉のまま供養。


カルロス・ゴーンのファミリーネームについて、アルファベットでのスペルがghosnであることを、イーロンマスクさんのツイートで初めて知った。Ghosn is gone. この取るに足らない駄洒落を目にして思ったことは、たかだが26文字の組み合わせで名前が表記されるアルファベット圏の社会は匿名性が随分高いなということ。

文字列を見て特定の誰かを想起させるのが日本語より難しい。

日本名だと基本的に無数にある漢字の組み合わせだから、日本語話者にとって特定の文字列が特定の誰かを想起させることは非常に容易い。

植松、とか、青葉、という文字列だけで2020年現在日本に暮らす多くの人が同一の人間を想起するだろう。ちょっと遡って宅間、麻原なんかもまだ有効なはずだ。そんな特殊な文字の組み合わせでもないのに、たった2文字で一億人の中からほぼ1人に絞られるなんてのはかなり特殊な社会だと思う。


日本は逸脱に不寛容であることで成員の快適さを確保する社会だ。


何か社会の安寧に害なす人間が現れた場合、実名を死に物狂いでリサーチして晒し、叩くリンチが公然と許されている。

晒した人が捕まったというニュースを聞かないので、警察も黙認していることになる。

氏名がアルファベットの羅列ではなく、特徴的な漢字の組み合わせであることからも、個人の固有性、視認性が高く、一度ネットニュースに載ってしまうとなかなかレッテルを剥がせない。

私の大学の先輩と後輩で性犯罪者がいたが、10年以上前の犯罪にもかかわらずいまだに名前を検索にかければ過去の犯罪にヒットする。落伍者の実質的な意味での社会への再起可能性は著しく制限されている。

匿名性を減らして監視しやすい設計の社会に日本はなってるなと思うけれど、アルファベット圏で生活していたら文字の羅列だけで個人の見分けがつけやすくなるんだろうか。