un deux droit

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無菌状態の脆弱性

お題「#この1年の変化」

「そう言えば、今年小児科行ってないな」
子どものいる家庭において、子どもの発熱は恒例の自然災害みたいなものだった。通院と看病で飛ばした商談と起こした夫婦喧嘩がどれほどあっただろうか。今年度は夫婦喧嘩は全く減らなかった(むしろ純増)ものの、子どもの発熱はゼロだった。これはかなり奇跡的なことだ。
コロナによる巷の衛生観念が高まり、人間との接触を減らすことが、これほどまでにその他諸々の疾病を駆逐するとは。インフルエンザも絶滅の危機に瀕している。昨日見た「ポツンと一軒家」の老夫婦が山籠りして以来20年間風邪無しを豪語していたのも、その独自に編み出された健康法に依るものと断定するのはピュアが過ぎる。私の地元の寒村では、父情報によるとマスクをしている人は皆無らしい。いわく下界からの人の往来が絶えて久しく、集落丸ごとソーシャルからディスタンスしているためらしいが、感染リスクがほぼゼロに近いというのは別の意味で既に死んでいるように思えてならない…
話を戻す。私が危惧するのは、ウイルスにさらされる頻度が極端に減ったせいで、子どもたちの免疫力が低下しているのではないか、という懸念だ。今後ハッピーなことにコロナが終息して元の密な生活に戻った際、めちゃくちゃ風邪にかかりやすくなってるのではないかと恐れている。
ついでに言うと、インカ帝国がスペインからもたらされた疫病で滅亡に追いやられたように、今年オリンピックが強行開催された場合、この一年間各々の地域で隔離培養されたローカルなウイルスが一堂に集結し、ウイルスの祭典になるのではないかとも危惧している。
コロナの感染者は徐々に減ってきている。この局面が実は最も重要なのだと思う。もともと不要であったはずの労働慣習や消費スタイル。実益より弊害の方が大きかった組織運営や統治手法の問題が、コロナを機に「汚れ」として浮きあがってきた。私たちは、その「汚れ」ともリモートする機会を1年にわたって得た。いったん「汚れ」のない生活に慣れた人々は、コロナ前よりも「汚れ」に対して脆弱になっている。また「汚れ」が私たちの生活に侵入し定着してしまう前に、このタイミングでしっかり洗い流してしまいたいものだ。