un deux droit

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社会回している側にサディスト多すぎな件

働き方改革関連の本を読んでいたところ、「理不尽な経験の減少が扱いにくい社員を増やしている」という記載があったので、その時点でそっと本を閉じた。「ビジネスの世界には理不尽なことがつきもの」「いじめや体罰の問題から学校の現場から理不尽が排除されてストレス耐性がつかなくなった」「体育会系人材が人気なのは理不尽や挫折の経験を積んでいてメンタルが強いから」などという記載が平気でなされていて、どこの前近代な会社だよ。まずはお前の頭から改革しろよ、という気持ちが込み上げてきた。著者は産業医経営コンサルタントらしいが、こんな人にアドバイスを受けている会社はさぞかし息苦しかろうと思う。ご愁傷様。

まず「ビジネスの世界には理不尽なことがつきもの」という言説については、その先にどんな話を展開するかが大事だ。「だから耐えねばならない」は完全に思考停止。理不尽の意味を辞書で調べろ。「理にかなわないやり方で行うこと」と書いてある。理にかなわないことがまかり通っていることの方が本来正すべきことだ、という当たり前の感覚が欠落している。下請取引の適正化の流れとか知らんのか。まかり通っている理不尽は業界団体を立ち上げてでも断固として戦うべきで甘受していいことなど一つもないのだ。それなのになんで個人の方をアジャストさせようとするのかね。こういう妄言を平気で吐けるところにブラック企業臭がする。
もちろん社会は理不尽にできている。不条理もたくさんある。それがどんな努力をしたってなくならないことも知っている。だからこそ放っておいてもどんどん悪くなるだけなんだから、せめて理性と相互信頼の力で歯止めをかけ、人為的な原因での理不尽や不条理は少しずつでも減らしていこうとする態度が必要なのではないか。それを現実主義者ぶって現状肯定し、どうにかその波を渡り歩くのがクレバーな生き方だぜ、という理屈は単なる弱肉強食であって全く賛同できない。
そのあとの「ストレス耐性」「挫折の経験」については理不尽の肯定と混同しているところが罪深い。この二つは確かに社会人としていい仕事をやり遂げるうえで活きてくる経験だと思う。ただし、理不尽な経験を経由する必要は全くない。むしろ経由すべきでない。理不尽な経験を土台としたストレス耐性と挫折の経験なんてのは社畜化にしか活かされない。もっと個人として人格を尊重された形で健全なストレスと挫折の経験を味わうことは容易だ。それなのにどうしても理不尽な経験を隣り合わせで書かないと気が済まない著者の執拗さにサディスティックな嗜好を感じる。
こういう本が平気で出回っていることに暗澹とした気持ちになる。フォントの印象で優しさを捏造して、中身はゴリゴリの市場原理主義でしたみたいな本があまりに多い。いくら立派に製本されてPOPで塗り固められていても、そこに書かれていることが真理である、または有用である証拠には全くならない。この本の読者層が、書いてあることをピュアに鵜呑みにせず、率直に「アホくさ」と思えるような斜に構えた読書態度を持つ人が多いことを願ってやまない。