un deux droit

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とあるジェンダーバイアスの告白

森喜朗のことばっかり悪く言ってられないなと反省する事象がこの前の金曜にあり、頭から離れないでいる。
舞台は自分が司会進行を務めたオンラインフォーラム。メインスピーカーとの対談を終えたあと、参加者からの質疑応答とディスカッションという段になった。誰かが口火を切って自然に場が回っている時間帯は流れに委ねつつ、議論が停滞してきたら違う視点を放り込みつつ、あまり話せていない人を指名してテコ入れをしていた。
無事に終了時間までたどり着き、参加者の退出を見送って、接続しているのが当社のスタッフだけになった。そこで私はようやく、ふぅ、と一息つき、このまま流れで反省会でもしようかなと思っていた矢先、ある女性スタッフが沈黙を破った。

「ねぇあんどう、何で私のこと一度も指名してくれなかったの?」

私は後頭部を殴られたような衝撃を受けた。本人から指摘されるまで、その自覚が全くなかった。
彼女は私の同期で10年来の付き合い。今回のフォーラムの様子を自社内メディアのweb記事に仕上げる編集者という立場で参加していた。議論に交わらず一歩下がって全体を俯瞰して記事の着地点を模索する役割。少なくとも私はそう思っていた。だから当社のスタッフも他に数名参加していたが、彼女にだけは話を振らなかった。結果として彼女は2時間に亘り一言も発しなかったことになった。
アメトークでいうところの加治さんの役割。ほとちゃんは加治さんのことを演者としてはカウントしていない。単にそういう話だよ、とその場では釈明したが、本人はあまり納得していない様子。自分自身苦しい言い訳だなと思った。どう言い繕っても、彼女がこの場で気の利いた発言をしてディスカッションの質を深める演者の頭数として、端からカウントしていなかったのは紛れもない事実だからだ。もっと言うと、新入社員の段階から「こいつの話薄っぺらんだな」と見切り、知的生産には何ら興味のない人間とカテゴライズしていた。だから彼女の今の立場も興味関心に導かれてというよりも、単に会社の人事都合のローテーションに流されて収まるところに収まっただけ、と見做していた。日常会話ではくだらない与太話をして盛り上がる仲でありながら、仕事人としてのリスペクトをことごとく欠いていた。何で失礼な話なんだろう。ずっと足を踏んづけたままフランクにじゃれあっていた感じ。彼女はずっと傷ついていたのではないかと思う。これが男性だったなら、たとえみくびっている人間に対してでも、みくびられたくないだろうという当人のプライドの存在を受信して、形式的には丁重に扱う。そのアンテナが彼女に対して作動しなかったということは、ジェンダーバイアスがあったということを認めざるを得ない。
もちろん司会者である私が指名しなくても自由に発言して良い場だったし、実際に自由にカットインしてきた人もいた。だから意見があるにもかかわらず、自分の指名されるの待ちという消極的な姿勢を棚に上げて、後から私の采配を批判するやり方に納得のいかない点も少しある。けれども参加者の中で唯一の女性であったというマイノリティの立場にもっと配慮できる司会であった方が望ましいのも確かだ。その意味においてもジェンダーバイアスに無頓着だった自分を恥じている。
とまぁこんな感じで男性が各々自身の不明を告白していくことが、森さんへの批判を積み重ねるより女性の生きやすい社会に近づくのではと思っている。自分も同じ穴の狢と思って口を噤むのではなく、恥を晒していこう。