un deux droit

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母国語から解放される心地よさ

一時の気の迷いで、英語で書くブログを始めた。
それなりに勉強に時間を費やした割に使う機会が全くなく、かといって英語話者の友人を作る労力も割きたくないし、ライティングとリスニングとスピーキングを一般にやってもどこが問題かの特定が困難なのでライティングに特化して基礎的な単語や構文、言い回しがさっと出てくるレベルを目指すことにした。

自力では自作の文章が自分の言いたい内容を表現できているかチェックできない。なのでとりあえずGoogle翻訳に流し込んでみた。そしてそこで翻訳された日本語文をさらに英語に再翻訳すると、もっと適切な言い回しで文章を作ってくれる。翻訳された日本語版の致命的な間違いを日本語の段階で修正すれば短時間でエレガントな英文の出来上がり。Google翻訳こんなにレベルアップしてたのかと驚愕。
ちなみに日本語文をそのまま翻訳に流し込めば良いのでは?と思ったが、はなから英語で考えられてない文は英語翻訳するとひどい悪文になる。日本語話者でしか通用しない言い回しや背景の省略がいかに多いか気付かされる。また、英語で考えられていない文章の翻訳を眺めても自分の頭で一度も考えたものではないから他人の文章に見える。だから自分の英語力の肥やしにならない。面倒でも一旦自分で一から英語の文章をこしらえるのが大事だ。
こんなツールがあれば英語の勉強楽しいだろうなぁ。単語帳や文法の丸暗記なんかしなくても、自分の言いたいことベースで使用頻度の高い単語や文法から覚えていけば関心が途切れない。良い時代になったものだ。

個人的に興味深く感じたのは、英語を介した方が言えることもあるという発見。日本語で書くとどうしても日本語話者を読者に想定する。すると、なぜかつまらぬ意地を張ったり外聞を気にして発想や表現が制約される。それが英語だと人の目が気にならなくなり、どれだけ拙く内容の乏しいものでも構わない、と思えるようになる。その自由度は思いの外快適だ。