un deux droit

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幸せと退屈の裏表

4連休の初っ端、妻が生理に。憂鬱すぎる。無事に時が過ぎるのを縮こまって待つのみ。
午前中、妻の体力温存を目的として子どもを散歩に連れて行った。いつも通っている保育園の前を通ると、土曜日でも保育園に通っている子はもちろんいて、外庭のフェンスを挟んでしばし談笑した。そういえば土曜保育をしなくなってもう随分経つ。
子供たちが通う園というかこの地域全体が緩いおかげで、別に勤務がなくても土曜は預けることが可能だ。土曜は親も私服で登園し、自分達の休息やレジャーのために預ける旨を隠さない親も多いが、別にそのことを咎め立てる雰囲気は園側にも親御さん同士にもない牧歌的な雰囲気。親だって平日働き詰めで、シームレスで土日に子どもを相手にするのはきつい。子供を連れては楽しめないレジャーもある。そうやって適度に息抜きし、適度に距離を取ることでかえって円満な家庭が維持できる。親の勤めだからと始終子どもと離れられない環境を空気で強いるのは家庭内暴力やネグレクトの温床になると思っている。
そういう価値観を持っているくせに、当の自分自身はもういつのまにか土曜保育を選択しなくなった。理由は幾つかある。成長とともに子育てをさほど手間と感じなくなったこと。子どもと遊ぶこと自体が楽しくなったこと。大人だけでやりたいレジャーが無くなったこと。妻と2人で長くいると喧嘩になることが増えたこと。こうやって列挙するとさほど良い意味の変化ではない気がする。趣味がなくなり、関心が衰え、日々をつつがなく過ごすことだけが日々の目的と化している。公園に入り浸り、娘達と一緒に木の実を集め、虫を観察する日々。敬老の日を前にして自分が老境に入ったような錯覚に陥りつつ、生温い幸せに浸っている。