un deux droit

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リーダーの選び方

東京都知事に小池さんが再選された。

女帝を読んだ身としては、彼女をこれ以上権力の座に居座らせることの恐ろしさを感じずにはいられないけれど、結局この本も売れたと言っても15万部だし、大勢には影響ないわな、としらけた気持ちで結果を受け止めている。
これは私自身の反省としても書くけれども、多くの人は投票の際に、政策の是非やこれまでの実績を吟味したりしない。小池さんが前回の都知事選で掲げた7つのゼロ公約をほとんど達成できてない、という批判があったが、そもそもその公約を支持したから投票したわけではないし、そもそもその公約を覚えている人がどのくらいいるのだろう、というのが正直な気持ちだ。ひょっとしたら小池さん自身も公約を忘れているかもしれないが、都民も忘れているなら問題ない。4年の間丸々忘れていた人から選挙の時だけ非難される筋合いはない。

私は以前、野田さんが解散した時の衆議院選挙で、安倍さん率いる自民党に投票してしまったことがある。自分の政治信条を曲げて心底後悔しているが、あのときの民主党の迷走は見るに堪えなかった。政策の是非よりももっと原始的な感情で、このおっさんたちの下についているのが我慢ならなかった。自分たちの代表という顔をこの人たちにしてもらいたくなかった。端的に言ってどうしようもなくダサかったのだ。ダサい人の下に自分がぶら下がっていると思うと虫唾が走る。せめてもっと仕えるに足るリーダーはいないものか。そういう思いで悪魔を選択をしてしまったのだ。

人はリーダーを選ぶ際、自分より優れた人間を選ぼうとする。自分にない性質。自分に無いカリスマ性。そういう者を求めると、大抵いじめっ子で冷淡で非情な人間を選びがちだ。そういう性質を多くの人はあまり持たない。レアな性質を自分より優れている証左だと誤認してしまう。逆に平和主義で穏健な顔をした人間を上に立てない。大半の人間は平和主義で穏健だから、自分と大差ない人だと誤認してしまう。なんかこいつを自分より上に据え置くのは癪だなぁ、と。政策云々も大事だけど、野党の皆様は、人々が「自分の上に据えてもいい」と思えるカッコよさをもっと研究した方がいいと思う。