un deux droit

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コスパに優りしバロメータ

宝くじを買う人を、あなたは馬鹿にしているだろうか。
どうしてあんな期待値の低いものに金を費やすのか。
簡単な計算もできない愚かな人間。
そんな論調の話は、まぁよく聞く。
しかし私は、宝くじを買う人を別に愚かだとは思わない。彼らは投じたコストと回収できるリターンを真面目に計算して購入しているわけではない。彼らが買っているのは、購入してから結果が判明する間の「興奮」だ。
もし当たって億万長者になったら、とあれこれ想像するのは実に楽しい。しかしその想像が楽しいのは0.001%でも本当にそうなる可能性が自分に用意されているからだ。実際に起きる可能性がないことを想像するのは虚しい。だから人は宝くじを通じてその想像を楽しむ権利を購入しているのだ。競馬や競艇、パチンコなどの賭博も往々にしてそんなもんだろう。収支はマイナスでも、ワクワクする体験にお金を払っているんだから彼らの満足値はプラスだ。お金を払ってディズニーランドに行く人の満足と構造は同じで、どの体験を経由して満足するかだけの差でしかない。私はそのように解釈している。宝くじは買わないが。
何でこんな話を始めたかというと、私たち夫婦でクレーンゲームがブームになっているのだ。以前はあれほどバカバカしい遊びはないとみなしていたのに見事にハマってしまっている。実際定価で買えばゲームに投じた金額以下で手に入るのに、あえてクレーンゲームを経由して手に入れようとしている。しかもおそらく店頭に陳列されていても購入しないであろうものが手に入るゲームに手を出している。不要なものを手に入れるためにその価値以上の金額を投じて入手しようと躍起になっている姿は、宝くじ購入者を冷笑している人にとってみれば同族の愚かさを見て取るだろう。しかし問題はそんなに表層的なものではない。そう、結局私たちは入手に至るまでのプロセスで味わう興奮にお金を払っているのだ。
2人目の子どもができて以来、旅行もめっきり行かなくなったし、外食もグッと減った。それらのレジャーから味わえる満足を引き出すために必要となる準備や、道中の子供のケアに費やされる負担が大きすぎて、すっかり意欲がなくなってしまった。もっと手軽に、短時間で楽しめるもの。色々と模索した先にたどり着いたのがクレーンゲームだったのだ。金銭と入手物の交換レートはえらく悪いが、かけた肉体的精神的負担と得られる満足の交換レートが非常に良い。おまけに妻と私で連携プレーで大物を落としたりなんかすると協働作業の達成感で夫婦仲も良好になるなどいいことばかりだ。
コスパは悪いんだけど、コスパじゃないんだよな。なんか別の単語でこの概念を表せないだろうか。英語が得意でないからあまり的確な表現が思いつかないけど、suffer performanceが良い、とでも言っておこう。苦痛から得られる便益が大きい。サファパ。サファリパークかっつーの。流行らんなこれ。