un deux droit

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キャリアを守りたいなら食事当番は固辞せよ

我が家の食事当番は9割私(父)だ。

朝6時前に起きてくる2人の子ども達にパンを焼いてやり、飲み物とジャムなどを用意する。

夕飯は夕飯で、18時半くらいには食べ始めないと妻含め家族全員が不機嫌になるので、絶対に帰りの時間は遅れられない。もちろん、多少の時間の変動があっても間に合うような献立の計画、予定外のトラブル(ご飯が炊かれていない、食材の買い忘れ)にも柔軟に献立変更する臨機応変さ、時間内にできなさそうな献立にしたい場合の前日深夜もしくは当日早朝の食材の下ごしらえ、そして買い出し。ついでに食器洗い。これら全てのタスクが食事当番にはついて回る。

妻がしてくれるのは、夕飯時下の子のためにあらかじめ用意しておいた離乳食の温めと食事の補助だ。夕飯時は大抵メインディッシュの出来上がりまで下の子は待てないので、早弁をしてもらっている。

食事当番を担ってしまうと、仕事の頭と終わりの時間が強制的に決まる。家族の飢えは最も避けるべきもので、万が一いつものルーティーンに食事の提供が間に合わなければ、妻は翌朝まで不機嫌だ。段取りがなっていない、家庭を疎かにしている、意識が低い、と際限ない罵倒が続く。なのでどんなに仕事が立て込んでいようとも、肝いりの企画にどれだけ時間を費やしたかろうとも、家族の腹を満たしてから次の腹が減るまでの間に私が個人的に叶えたい願望は詰め込まなければならない。

妻も、そんなに不機嫌になる暇があれば自分が料理をされてはどうかと思うのだが、それはそれで非常に不機嫌になる。妻はまず突発の対応が死ぬほど嫌い。だからちょっと仕事が間に合わなくて、なんて言い訳はご法度。電車の遅延ですら結構不機嫌になる。そのために、16時くらいから私は通勤経路に人身事故や架線トラブルなどが起きていやしないか気が気でならない。じゃああらかじめお願いしておけば料理をしてくれるかというと、そんなことはなくて料理そのものが嫌い。妻も料理は作れるし味は問題ない。むしろおいしい。しかしどうしてもやりたくないらしい。あらかじめ念入りに計画を伝えて頼み込んでおいて、買い出しやねぎらいその他諸々のフォローを駆使しても、妻に夕食をお願いした日はずっとぐちぐち文句を言っている。それが嫌になって、頼むのをやめてしまった。ちなみに妻は、料理をやりたくないとは一言も言っていない。もちろん頼めばやってくれる用意はある。ただ終わった後死ぬほど雰囲気悪くするよ、というだけ。だから公式には私が自発的に食事当番を買ってでていることになっている。私が出張で不在の時は、いない食事の分全部作り置きをして温めるだけにしてから家を開けなければならない。妻は電子レンジマスターなので、電子レンジだけで済む手間では不機嫌にならない。

同僚の女性(二児の母)とこの前雑談をした時、旦那が厨房に一切立たないから大変だと溢していた。聞くと、旦那さんは、食事の用意が間に合わなくても不機嫌にはならず、レトルトやらコンビニ弁当で適当にやってくれるらしい。我が家は作らない+食事の用意がないとキレるというオプション付きなので、文句言われないだけでもありがたいことだと思ったけど口はつぐんでおいた。

まぁそんなわけでここ三年くらいずっと定時退社が続いている。

先日会社の取締役とキャリア面談があり、今期の成果と今後の部署のビジョン、具体的にどのような形で貢献するつもりがあるかについて説明し、その場ではとてもいい手応えを得た。自分がいかにあなたにとって有用で、あなたの個人的な願望の実現に有益で、実際に結果が伴っているかを証明したのだから当然の反応である。けれども、面談の後、明日の業務の準備を終え、定時の迎えたので帰宅の準備をすると、取締役はこう言った。

「お前は定時で帰るんだったね」

一体何の確認だろうか。そうだとは思っていなかった事実を思い出しました、という含み。あれほど壮大なプランをぶち上げておいて、定時でのうのうと帰るのですか、という蔑み。むしろ定時退社を続けていて会社の設定する目標を上回り続けていることに感心してもらいたかったのだが、残念ながら彼も具体的な数字より抽象的な忠誠心を愛するらしい。それだから私の上司も具体的な数字こそ全く未達でも、抽象的な忠誠心(残業時間)だけは欠かさず示していたのだからその地位を10年近く保持してきた。目の前の取締役は、私の上司をその地位に留めている責任の一端を追っている。その彼の価値観を非常によく表す先のワンフレーズに私は辟易してしまった。

「えぇ、家族の夕食を作ってやらなければなりませんので」

おそらく生涯一度も家族のために料理を振舞ったことが無いであろう目の前の昭和の産物に伝わらない嫌味をぶつけて空しく帰路に着いた。来期もどうせヒラだろう。まぁそれでも仕事があって家族が暮らしていける給料(の半分)がもらえるだけまし。妻が残りの半分以上をたたき出しているので暮らしに不自由はない。犠牲になるのは私の自尊心だけ。

会社を変えたければ、会社を牛耳っている輩の価値観にとことん合わせて覚えめでたく地位を得て、そのあとに本当はこういう会社にしたかったのだ、とちゃぶ台をひっくり返す。サラリーマンののし上がり方はこれしかない。それができないなら自分で会社を作るか、変える必要のない居心地の良い会社を選ぶのみだ。私は会社を作る器量もないし、悠長に会社を選んでいる余裕はない。幸い家族は幸せそうで、私の作るオムライスをハウハフとむさぼっている。仕事は自分なりの信念で顧客に価値を感じてもらえている実感はある。とりあえず誰かの役に立っていて、私の存在が誰かに幸せをもたらしていて、五体満足で生きている。自分の実力では手に負えない社会の不条理は一旦保留して、手にすることができた生きがいで自分を満たす努力をしなければいけない。

いつまでも表題の芯を食った話題にならないが、私が言いたいのは、逆説的に、これから女性は料理をしてはならない、という話。女性陣がみんなわがままを言って料理をストライキしてくれたら、簡単に各家庭が瓦解して、定時で帰ることに嫌味を言うおっさんどもが如何に恵まれた前提条件のもと、一丁前のつもりで仕事をしている気になっているだけであったことが痛感されるだろう。特に中高年の奥様方。旦那の口座を全部引き上げて皆様で仲良く1か月くらい箱根か別府あたりに湯治に出掛けたらよろしいのではないでしょうか。どこかのおじさんのせいでインバウンドが著しく不調のようですので、観光業の浮揚と家庭の民主化が一挙両得で進みまっせ。