un deux droit

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自分が死ぬ瞬間

自分が死ぬ時、どんな感情になるんだろうか。

そんなことを年に何度か考える。

大抵は、抗いがたい睡魔に襲われ、体のどの部分も動かす気力が湧かない時、死ぬのってこんな感じなのかな、と思ったりする。

元気な時は死を恐れるけど、死ぬ間際なんて著しい倦怠感で明敏な感情など生じなくて、走馬灯もなくて、どうとでもなれ、という投げやりな気持ちなんじゃないだろうか。

よくドラマなんかで今際の際に、ラスト・メッセージを愛する人へ捧げるシーンがあるけど、自分に置き換えた時にどうもしっくりこない。

 

「愛してるよ」

「私は幸せでした」

「……なんだ意外と死なねーな」

 

とか言って自分で自分の死のタイミングを測り間違いズッコケる情景の方がリアリティがある。

なんで一度も死んだ経験がないのに「あ、これは俺死ぬやつだわ」と事前に察することができるのか。秒単位でカウントダウンして、自分の残り体力と相談して、逆算して丁度良くなる文字数の気の利いたセリフを吐いてご臨終だなんてお前もうそれ元気だろと思う。

てな訳で、自分の理想の死に方は、安楽椅子にでも腰掛けて寝落ちして、朝みんなが起きた時には気がついたら死んでましたというのが最高。寝てる間に心臓が止まってるパターン。いちいち死ぬ瞬間まで意識が働いている必要はない。残された家族も朝から余裕を持って葬式の準備ができるだろう。

ちなみにこれは親戚のばぁちゃんの死に方。物心ついた頃にはすでにだいぶおばあちゃんで、ろくに会話を交わしたことはないのだが、30年近く経った今も死に様が強く印象に残っている。あんな風に死ねるなら、いつ死んでしまっても構わない。そんな願望でこの実りのない妄想をおしまいにする。