un deux droit

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余剰なき生活

自分は一体何のために生きているのか。

 

ここのところずっと、生存を維持するための作業しかしていない。

次に飯を食う時のための皿洗い、次に着る服を確保するための洗濯、次の行動を円滑にするための整理整頓、次の日のための買い出し、そして食事、着衣、睡眠。

生活と、その生活を維持するための生産活動をするだけできっちり1日が終わってしまう。

つまり、生活するために生活している。

生活の維持のための活動の生産ペースと、生活の消費ペースが一緒。

さすがに何かもっと社会的動物としての実感の持てる時間の使い方をしたい。財でもいいし経験でもいいんだけど、何か一つ昨日よりも積み上がったものがあると実感できないと、心はじわじわと蝕まれていくのだなという身もふたもないことを実感する。

非正規雇用であれ公務員であれ主婦であれ、定常的な要素を多く孕んでいる生活を長く送る人が精神を病みやすいのも頷ける。賽の河原は現世のいたるところにある。