un deux droit

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課金ゲームの妙

人生で初めてスマホゲームに課金してしまった。


その巧みさに感心してしまったので自戒を込めて書く。


最初は10円だったのだ。

そんな少額で、少量の、しかしゲーム上で入手するのと比べてコスパのいいアイテムが売られていた。


初めて1週間は見向きもしなかった。

無課金で十分楽しく遊べる範囲だったからだ。

そしてお約束だが、徐々に無課金だけではゲームの発展が行き詰まってくる。


そんな段になって、あの10円アイテムがあると詰まりがすっと改善されるケースが出てくる。

無課金だとあと3時間ただ待つはめになる。

たった10円をケチるためにそんな我慢をするべきだろうか。

据え置きゲームだって何千円もする。

開発者にお賽銭のつもりで10円くらいいいだろう。

そんな軽い気持ちで購入してしまったのだ。

この時私は何を失ったのか。

それは課金に対する抵抗感だ。


そこから3日で90円、120円、240円、540円まで手を出したところでこれはいかん、このままでは引き返せなくなるとデータを削除した。

まんまと引っかかった身でありながら、実によくできていると感心してしまった。

罪悪感の軽減、ちょっとした競争心、射倖感。そして一番大事なのが、ギルドのような連帯感や使命感、自分の重要性をインスタントに味わえる装置。これらを組み合わせれば、ビジネスが成立する程度に一定量の人は簡単に操れる。

そもそもただの電子データにお買い得もクソもないし、架空の世界のランキングに何の意味もない。しかしゲームに没頭するうちにその虚構の刺激が現実世界と同じように自分に作用し行動を左右してしまう。承認されたい、注目されたい、占有したい、君臨したい。スマホゲームは生存に必要のない欲求のうち低俗な順から根こそぎ満たしてくれる。こんな危険な代物がいとも簡単に入手できるところにゴロゴロと転がっているとは。これは現代のアヘン戦争だ。アヘン窟はいまや各々の手のひらにすっぽりと収まって、扉が開くのをじっと待ち構えている。扉をちょっと開けただけですぐ引き返してこれた自分の臆病さには、いくら感謝してもし足りないくらいだ。