un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

猫との同居、初日。

家の中は好き放題探索していたし、新しい家族になんにも警戒していないように見えるけど、ご飯も水も食べず、トイレもせず、ひたすら寝てばかりの1日だった。

長女の願いを聞いての猫の購入だったが、妻の溺愛っぷりが尋常じゃない。私に対しての負の関心が減ったことは心から喜ばしい。

ふと、人間にとって結婚したり子どもを持ったり動物を飼ったりするのは、淋しさを穴埋めするためにやる行為なのだろうということを思う。淋しければ淋しいほど、淋しさを紛らわせるために、自分の周囲を生き物で固めていく。人間や生物を世話したり人間に世話されて身を寄せ合ってると、幾分人生の淋しさが和らぐ。気がする。それでもどこからか隙間風が吹いて、「お前は独りなんだよ」と耳元でささやく。その隙間風の不穏な調べを聞きたくなくて、その隙間をまた生物で埋める。南極のペンギンみたいに。その繰り返しは死ぬまで終わらない。感覚が鋭敏な人は、この淋しさが永久に解消できないことを早々に悟り、自ら死を選ぶのだろう。

観測している限り、隙間風が聞こえてきても「知っているよ、それがどうした」と孤独が平気な人、あるいは隙間風が聞こえない、孤独に気づけない人は生き物として強いと思う。

いったい何の話だ。