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【書評】プロジェクト・ヘイル・メアリー

『三体』を読んでしまってから、もう宇宙を取り扱ったSFは読めないと思っていた。どれも『三体』を超えることはできない。だから手に取ることすらしない、と。

その確信は一年足らずで瓦解した。あっさりと別の作品を手に取り、むざむざと個人史上一位の記録を塗り替える羽目になった。世の中に絶対はない。日本がサッカーでドイツとスペインに勝つくらいだから。

プロジェクト・ヘイル・メアリー。負けが込んで破れかぶれになったときの、一発逆転を狙ったギャンブルプレー。自分だったらそんな名前のプロジェクトに絶対関わりたくない。てか正気の人間なら誰だって。しかしこの小説の場合は掛け金が全人類の命。観客席でなすすべなく死を待つか、フィールドに立つか。嫌それでもやっぱりプレイヤーは嫌だ。しかしこの小説の主人公は本人の意に反して、「地球の生命体を救うための起死回生のパスを投げる」という命を負ったクオーターバックとして宇宙空間に放り出された。アメフトボールは?ない。それをまず探す。そして何らかの方法でそれを地球に投げ返す。クオーターバック本人の命は?ハハハ、そんな野暮なことを聞くなよ。それこそマリアにでも聞いてくれ。

この小説のもう一つの魅力は、地球外生命体との邂逅。どうやってコミュニケーションを取るのか?その知恵の絞り方と試行錯誤がワクワクする。アンモニア、キセノン、水銀、そして窒素。なじみのない元素がわんさかあふれて面白い。物理や化学の知識が弱くても楽しめる親切設計。


詳細にこれ以上立ち入るのは避ける。ここでは可能な限りネタバレを避けつつ『三体』との比較をしたい。『三体』と『プロジェクト・ヘイル・メアリー』には、共通する問いがある。「宇宙人はいるのか?」答えはどちらもYes.「ではなぜ私たちはまだ会えないのか?」その答えがこの2作では大きく違った。そしてその違いが著者の国籍の違い(中国人とアメリカ人)を如実に表しているように感じた。どちらの仮説もとても魅力的である。中国の見立てはホラー。アメリカの見立てはファンタジー。そんな感じ。私はアメリカの説を支持したい。

『三体』説だと、1つの惑星で発達する文明の限界を超えている気がする。惑星の大きさはある程度の幅に収まっている。1億倍のサイズの惑星も1億分の1の惑星も存在しない。使用できる資源の総量や、知的生命体内部でおこる内分による均衡のことを考えれば、一方の文明が一方の文明を瞬殺できるだけのテクノロジーを確保できるような格差が生まれるというのが私にはどうも想像しにくい。違いはあるもののそのどれもが相手を凌駕するほど決定的なものにならず異星間文明は均衡の方向で着地する。銀河系もとてつもない巨大な生物の胃の中に過ぎないかもしれないし、微生物の世界で高度な文明が存在しているかもしれないわけだが、あまりにサイズが違いすぎると互いに互いの存在を認識できない。微生物の内部に実は銀河系の様な世界が広がっていて、その中の惑星上で文明が発展し、アメフトをしていても人間はその試合を観察できない。またこの銀河系を一つの微生物として認識している超巨大生物がいるとして、その超巨大生物からは我々のアメフトの試合を観察できない。繰り返すけど、認識できる範囲に含まれることには均衡の方向へ圧力が働く。そんなことをぐるぐる考えている。とりあえず2022年で一番面白い小説だった。いい年末。