un deux droit

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嫌vs嫌でない

妻と夏休みの予定調整をした際、8月13日〜15日を平日に含めるか否かで認識の相違があり一悶着。

私の感覚では、いまだに日本の多くの企業がこの3日間を含む形で夏季休業を設定しており、当日の人出の多さや休業する個人商店の多さ、親族行事の多さなどから実質的に祝日扱いを脳内でしていた。

そのため、「8月の平日の予定」を聞かれた際、2023年については14,15は言わずもがな休日とみなし、16日以降の予定について言及した。

それを妻に、「14、15は私に仕事の予定があって家族行事が入れられないということね」という意味で取られた。

その場はソレで話が成立したが、その後私から「14、15日どうしようかね」と話を振った際、「さっき平日の予定聞いた時何も言わんかったやん」と行き違いが発覚した。

それなら「あなたはお盆の感覚のないグローバル人材でしたね」という新鮮な発見で良かったはずなのだが、何故か妻はその行き違いに釈然としない様子で、「混雑する可能性のあるお盆に予定を入れるのを嫌って、触れないように誘導した」と因縁をつけてきた。それならその後自分から14、15の話を持ち出さないはずなのだが、妻は一度着火すると絶対後にひかない。とにかく「妻の主張のとおりに私が考え発言しました」と認めないとこの議論は終わらない。こうやってまた無駄な時間を過ごした。

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上記の議論とは外れるが、議論による収穫がなかったわけではない。妻は、盆と正月特有の、混雑や渋滞や臨時休業などに振り回されることをさほど厭わない人間であるということ。そして私がそういうのをまるごと忌避していることを知らなかったということ。

人が何を嫌と感じ、感じないのかは本当にわからない。そして、嫌と嫌でないの対立構造になる場合、まずは嫌側が積極的に自己開示する必要がある。聞かれてもいないのに、嫌でないことを私はこれが嫌ではありませんと主張して回る人間はいない。嫌なことより嫌でないことのほうが圧倒的に多いから、キリがない。

嫌なことを嫌だと主張しないでいると、基本的には「嫌な人はいない」という前提で議論は進む。「もしかしたら反対の人が主張できないでいるだけなのかもしれない」と考えていたら議論は進まない。自立した大人同士でそんな遠慮は不要。

というわけで、「意見や疑問がある人は後で個別に」ってやる会議スタイルってとても有害だよねって話。