私は教養が乏しいので、表題の作品を恋愛小説がなにかだと思い込んでいて、自分には全く無関係の代物だと見做していた。しかし先日、あるブログで「SF」のジャンルで紹介されているのを目にし、俄然興味が湧いて即入手してきた。そして休むまもなく読み終えてしまった。
この小説は、ある「人体実験」を施された男性の「日記」だ。私が今こうやって書いているブログと、構造はさほど変わらない。身の回りで起きたこと、それで感じたことを淡々と書き連ねているだけだ。そんな文章は世の中に数多あるが、そのタイプの文の中でも群を抜いて面白いと思う。
この作品の最大の特徴は、記述される文体が変化することだ。その変化の度合いを絶妙に操ることで、その実験の効果の現れを描いている。文体の変化だけでこんなにグロテスクなものを表現できるという新鮮さに目を瞠る。
文体の変化がこの作品の最大の魅力、ということで、これは翻訳者にとって腕のなる作品でもある。言語の数だけ小説がある。中国語なら中国語特有の、アラビア語ならアラビア語特有の味わいがあるのだろうと想像する。
知能とはなにか。人間の尊厳とは。それをどう認知し、掬い上げ、分かち合うのか。「認知し、掬い上げ、分かち合えている」という素朴な実感は、果たしてどれだけ信憑性のあるものなのか。それはすべきことなのか、幸福をもたらすものと言い切れるのか、などなど頭を悩ませる難題と向き合うことを、この作品は強いる。その作業は結構苦しい。ただ、終盤チャーリィの身に起きたことは、チャーリィほど急激ではないにしても、多くの人間がいずれ味わう体験でもある。他人事と片付けることを許さない切迫感を味わった。
どうしょうもない後味の悪さと、タイトルの意味が最後の一文で回収されるという鮮やかさ。そのコントラストが秀逸な作品でした。読後感は複雑な気持ちですが、その複雑さを丸呑みするしかないのだと思います。
「ぼくわまた一つかしこくなた。」