un deux droit

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再現不可能な仕事をやり遂げて

今日の仕事はセミナー講師。セミナー講師と言っても、学校の先生のように情報やノウハウをお伝えするのではなく、参加者の考えを引き出し、意見を集約するファシリテーターをやってきた。アウトプットそのものを直接生み出すことはできない。あくまで参加者がひねり出しまとめあげるのを間接的に補助する役割。「これでいいじゃん」の一言を決して言わずに、「これでいいじゃん」とみんなが思う結論へ導く。

このまどろっこしさは英単語禁止ゲームに似ている。自分ではうっかり英単語を言うのに気をつけながら、他人の油断を突いて英単語を言わせるゲーム。ゲームなら楽しいのだが、お仕事としてお金をもらってやる、絶対負けられない勝負だと全然楽しくない。

結果としては無事に「これぞ」という結論まで顧客を引率することには成功した。しかし同じことをもう一回やってくれと言われたら勘弁してください、二度と御免です、という感想。始まる前は汎用性のあるカリキュラムを拵えて、横展開できるプログラムを開発しようと意気込んでいたが、蓋を開けてみると当日の議論の進み方や、意見の質は想定と異なった。それはいい方にも悪い方にも。こんなに時間取らなくても結論まで行ったわ、とか、これだけ意見の質が良いならこのワーク挟まなくていいな、といった事態が頻繁に発生する。その度カリキュラムを削ったり付け足したり時間調整したりグループサイズ変えたり休憩のタイミング変えたりとアドリブ対応に奔走される。極端な話、会場の大きさが数十cm、テーブルの長さが数cm異なるだけで、適切なグループサイズや議論をまとめるのに適した紙やペンの種類が異なる。

誰からどの順で当てるか、発せられた意見に追加の質問を加えるか、別のなにかにどう例えるか、そういったほんの些細な言い回しや間の違いが、会場全体の議論を深めるか、それとも迷走の深みにハマるかを左右する。進行の調整や仕掛けの変更について、アシスタントと意見が対立することもしばしばあり、それが参加者に露見して不安視させないように配慮しつつ、しかしお互いシコリが残らないよう率直な意見交換はする。そして手短に合意形成を図る。全てが綱渡りの即興劇。得難い経験ではあったと思うが、その分プレッシャーが尋常ではなく、擦り減らした心が7時間経っても回復しない。心臓に悪い。