un deux droit

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虚心坦懐、明鏡止水

子どもが寝静まり、明日以降の食材の買い出しに行く。出がけに「何か食べたいものある?」と何の気なしに妻に声をかけてみたところ、とんでもない藪蛇となってしまった。「もっとヘルシーなものが食べたい」「最近男飯多すぎ」「食育勉強して」「女の子の家なんだからもっと可愛らしさを」「カロリー高い」「茶色いもの多い」「レパートリー少ない」「インスタ見たり研究の時間とったら」「寝かしつけたらさっさと自分の時間に勤しむんじゃなくて仕込みでもしたら」とダメ出しが止まらない。ただ食べたいものを聞いただけなのに、日頃の食卓に対する不満がとめどなく溢れてくる。

「不満が出るのは期待の裏返し、何も言われなくなったら終わりの始まり」という、妻のいつも使用する格言があるが、「〇〇が食べたいなぁ」と伝えることで間接的に不満の原因を回避できるのではないかといつも思う。ヘルシーで、女の子っぽく、可愛らしい、茶色くない、私のレパートリーにない、食育にもなって、前日からの仕込みが必要で、インスタに載ってるようなレシピをいくつかそっと差し出せば済む話ではないか。なんで火の玉ストレートを何球も顔面に直撃させないと気が済まないのか。要望とクレームの境目がわかっていない。性格が頭のどちらかに問題がある。

ここで逆ギレしても何も生まないので、「色々と率直に言ってくれてありがとう、アドバイス通りに自分でももっと時間とって試してみるので、食べたらまた感想ください」と妻がいつもそうしろと言う無抵抗感謝モードで切り返し、私の心のマグマが噴火しないうちに買い出しへと逃げ去る。気持ちが幾分落ち着いて、平常心で家に帰ると、「ごめんさっきはちくちく言いすぎた」と妻は殊勝な態度を示している。妻も妻でこの生活の維持のためにできる努力を始めたようで、今までにない変節をみずから行った。心はだいぶ抉られたが、妻に変化の兆しが見えたことを一縷の望みとして、円満な家庭の到来を信じてみようと思う。それにしても家庭生活というのは精神の鍛錬でありますなぁ。キレなかった自分、偉い。