un deux droit

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話せないのではなく話したくないだけ

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自分も、どもり治んねぇかなぁと思って見た映画。
私は妻の折檻が引き金となって悪化した感じがあるが、映画を見ると吃音というのはやっぱり精神的なものなんだなとしみじみ実感。自分はこれほどひどくないと思っているが妻には同じくらい聞き取れないんだろうな。

脳内では文章が完成している。だからこうやって文字も打てる。歌なら歌える。感情が高ぶると饒舌になる。ほんとこのまんまだよ。兄者を前にしてどもりがピークに悪化するあたり見ていられなくなる。私の発話にケチを付け続ける妻にこそ見てもらいたい。あなたの目的は私が本当に流暢に話すことなのか、それとも面罵することそのものなのか。前者を望むなら最も効果の出ないことを妻は延々と続けていることになる。結局発話というのは相手と心を通わせたいという情熱なのだ。自尊心を傷つけられて、心の扉を閉ざしてしまった私の声が妻に届くはずがない。


クライマックスで、国王はどもりを克服して見事なスピーチをやり遂げる。
しかしその裏には、身分の違いを超えて固い信頼を結んだ、モグリの言語学研究者の存在があった。
繊細でくじけやすい国王の心を絶えず鼓舞し、自尊心を癒やし、心の安らぎとゆとりを生み出してくれる。
私にもそんな友がほしい。