自分には関係ないやとスルーしてきたpretenderを今更聴いてみた。
街で漏れ聞こえる歌詞の断片の印象では、何でこんな未熟な単語を多用するのだろうと思っていたのだが、なるほどこれは聴き手が未成熟だった頃のほろ苦い恋愛未満の経験を描いているのだなと理解。聴き手が各々抱えている、生焼けのまま燻った記憶にアクセスしてくる。私は過去に心を寄せていたある女性のことを思い出さずにこの曲を聴くことは不可能だった。
その女性と出会ったのは大学1年の冬のこと。私の通っていた大学は新歓活動が度を過ぎていて、各種サークルや体育会系の部活のメンバーが二次試験終了後の疲弊しきった高校生を拉致して食事に誘い、「合格した暁には是非うちへ」と青田買いする伝統があった。私が住んでいた寮でも、寮文化を盛り立ててくれる有望な新人をリクルートすべく、受験生歓迎コンパを開催していた。私は寮委員をやっていて、気だるさを隠さずにコンパの受付をしていたのだが、そこに一組の母娘が訪れてきた。わたしは思わず目を瞠った。何だこの可愛い子は。透き通るような白い頬を寒さのために少し桃色に染めてやってきたその子は、私の人生で出会った人類の中で群を抜いて美しかった。私は動揺を抑えて受付を済ませると、会場までアテンドしながら一通りの雑談を交わした。
聞けばその子はもともと合格したら入寮を希望していて、入学前にどんな雰囲気かを見学しにきたのだという。受験した学部は最難関の医学部。通っている高校もその県で1番の進学校で、容姿だけでなく頭脳もずば抜けている。緊張がほぐれてきたのか、初対面にも関わらず何の警戒心もなく身の上を明かす天真爛漫さに、完全に心を奪われてしまった。
所在なさげにしているその子の母親にも積極的に話しかけた。(余談だが母親も美人だった)私が法学部在籍だと告げるとそれだけで敬意の念を抱かれ、娘の新生活で不安に感じていることをあれこれと尋ねてきた。この時ほど法学部の肩書きがありがたいと感じたことはない。その子も母親が私を完全に受け入れた様子を見てますます心を許した様子だった。私は悪い虫がつかないように信頼できる女子寮生に彼女を預け、合格を祈念していると伝えて自分の仕事に戻った。同級生の一人が「この面食いやろうめ」と茶化してきたが、このチャンスをみすみす逃すアホがどこにいるんだよと頭を小突いてやった。
コンパが終わって解散となり、母娘に帰り際に再度声をかけ、ぜひまた春に会おうと約束した。母親からも、こういう人が先輩でいるなら安心だ、受かったらよくしてもらいなさいとお墨付きをもらった。今日の俺はどうしたんだ?なにか知らず知らずのうちにどんでもない善行でも積んだのだろうか?夢心地のひとときが終わり、男子どものやっかみも構わずに一人浮かれ気分だった。どうかあの子が合格しますように。自分の受験の時よりもはるかに強い念を送り、4月が来るのを待ったーー。
3月末に全寮に配られた入寮予定者の名簿に、彼女の名前はなかった。
私は失恋に匹敵するダメージを負い、しばらくの間腑抜けた抜け殻のように呆然と過ごしていた。その年入学した医学部生に彼女の名前を告げたが、そのような学生はいないとのことだったので、おそらく不合格だったのだろう。コンパの時、滑り止めは受かっていると言っていたので、そっちの大学に行ったのかもしれないが、いずれにせよもはや確認する術はない。あの日格好をつけてアドレスを交換しなかったことを死ぬほど後悔した。もう二度と会えないのなら最初から会わないほうがよかった。
苦しみを紛らわせるように、覚えた酒に溺れ、適当な恋愛を何度か繰り返すうちに徐々に日常を取り戻し、また冬が来た。この年の受験生歓迎コンパでは普段しない勧誘の前線に立ち、一縷の望みにかけて医学部の受験会場に陣取ったが、他の学部の受験生も同一会場のため、雪崩出る受験生の波の中から彼女を見つけ出すことはできなかった。そもそも受験しているかどうかもわからないのに何をやっているんだ。そんな自嘲を噛み締めながら帰路についた。
3月。今年の入寮生の名簿が当局から届いた。私はその年、新入生の受け入れを補佐する係のメンバーになっており、その日は入寮予定者に手分けして電話をかける日で、入寮希望日の確認や、入寮にあたっての注意事項の伝達、不明点の解消を行なうという業務を行なっていた。その段になっても未練がましく彼女のことを思い煩っていた私は自分の割り振られた名簿をぱらぱらめくり、少なくとも私の名簿には彼女の名前がないことを確認した。いるわけないよな。そう思いながらも、他のメンバーに割り振られた名簿を見せてくれと頼んで回った。皆一様に怪訝な顔をしたが、コンパの時に仲良くなった奴がいて、そいつの合否が気になっているんだ、という方便を告げた。誰の名簿にも彼女の名前がなく、落胆しながら最後の一人の名簿を見せてもらった。
借りた名簿の2ページ目に、なんと彼女と同姓同名の名前が記されていた。名簿にあるのはカタカナ書きの名前と電話番号のみ。これだけでは本人と特定はできないが市外局番は彼女の出身とドンピシャだ。「ごめん、このページだけ俺にかけさせて」無理を通し、彼女の名前があるページだけひったくった私は、動悸を必死に抑えながら電話番号を入力した。
電話がつながり、一通り電話の趣旨を切り出した後に、私は勇気を出して切り出した。「もし違っていたら大変申し訳ないのですが、昨年コンパに来られた方でしょうか…?」「…はい!行きました!」「ほんとですか?もしかして医学部受けてた〇〇さん?覚えてる?あんどうです!」「もちろんおぼえてます!お久しぶりです!」私は多分涙を流していたと思う。鼻声になるのを必死に堪えて合格を祝福し、4月の再会を心待ちにしていると伝えた。滑り止めには行かず一年浪人を選んで見事に合格を勝ち取ったとのこと。お母さんにもよろしくと伝えてと言うと、彼女は電話口を押さえて「電話してきてくれたのあんどうさんだよ!私のこと覚えたてくれたの!」と話す声が漏れ聞こえた。いや、あなたのことを忘れる男はいないと思うよ。そう心の中で突っ込んだ。
残念ながらこの話のクライマックスはここまでである。4月に入寮した彼女は、最初に出会った日と変わらず美しかった。彼女もよく私のことを慕って懐いてくれ、まるで自慢の妹のような存在だった。新生活の買い物に付き添うという名目で一緒に街を歩くと男どもがチラチラ彼女のことを盗み見るのがいい気分を味わった。しかし、しばらく彼女を観察していると様々な違和感を覚えるようになった。
彼女と会話して判明したことは「無類のRAD狂であること」「猫のことにしか頭にないこと」「食事に興味がないこと」だ。(後に風呂嫌いが判明し、冬場は実験が続くと週一の頻度になっていた)何だかこの辺りから埋めがたいズレを感じるようになった。RADはバンプのパクリやん、、としか思ってなかったので彼女の熱量にこたえる相槌を打てなかったし、猫はアレルギーがあってそもそも受け付けず、会話が盛り上がらない。食事もウィダーインゼリーだけで1日過ごすこともざらで「噛むのが面倒」が口癖、そしてそれ故か料理が壊滅的に下手くそだった。私服の趣味は何故かパンク系に傾倒していき、顔立ちが清楚な分コスプレみたいなチグハグさを覚えた。今思えば才の飛び抜けた人間は常人と一線を画す生活習慣を持っていることが往々にしてあるが、当時の私は見た目の清廉さと矛盾しない中身を期待してしまったのだ。
そういう不可解さを多く抱えながらもそれを補ってあまりある美貌で、学部でもサークルでもバイトでも人気はずば抜けていた。RADや猫を足掛かりに必死に気を引き関係を深めることに成功する輩も出てきた。内心面白くなく焦るものの、じゃあ自分が一歩歩みを進めて関係を深めるかというと、幸せになるイメージが掴めなかった。私が好きなのは結局顔だけなんじゃないか?全く波長が合っていない。そう自己嫌悪に陥りながらも、いやいやそれは自分の思い過ごしだ、でもこのしこりはなんだ?そんな堂々巡りを始めることになる。
「今は恋愛に時間を割きたくない」
事あるごとにそう言っていた彼女は、半年後にあっさりと、私と仲良くしていた先輩と付き合い始めた。
なんなら、「〇〇先輩からアプローチされているけど、受け入れていいだろうか」という相談を事前に受けた。「こういう側面があるからそこが受け入れられるならあとはいい人だよ。」彼女は私の後押しを受けて先輩との交際を始めた。2年後に中絶の相談を受けた。私以外に相談できる人はいないと泣き腫らして。本当に残念だけど、今は自分のキャリアを優先したほうがいい。彼女の将来より自分の性欲を優先して避妊しなかった先輩を軽蔑するけど、暴力的な支配関係ではなかった中で自分の意思で彼を受け入れたあなたの落ち度も庇うことはできない。そう告げると、下手に慰めてくれなくてありがとう、私はこの罪を背負って生きていくと彼女は言った。
その後も、誰と今付き合っている、結婚を考えている、結婚した、不妊治療を始めた、中絶した過去が原因かもしれない、ついに子宝を授かったーー。出会ってから10年にわたって、実の家族以上に彼女の秘密を共有する人間として相談を受けてきた。医者になる夢が叶い、誠実な男性と結ばれて、子宝にも恵まれ、めでたくハッピーエンドを迎えた彼女にとって、私はもう用済みだろう。それじゃ君にとって僕は何?その問いを今でも彼女にぶつけられずにいる私は、代わりにpretenderをしばらく聴き続けるのかもしれない。