un deux droit

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まずはリングに上がりたい

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

今日は建築士と会合。会ったのは2回目だが、なんかどこかでみたことあるんだよなぁ、とモヤモヤしていたのだが、ようやく記憶の奥底から該当の人物を引っ張り出してきた。大学1年の時に同じ部活にいたやつだ。
名前は思い出せない。しかし体つきと話し方と表情がなんとなくシンクロする。建築士とは赤の他人と思うが名前が思い出せないので建築士の名前を借りて多田とする。
多田とペアを組んでたのは白澤というやつだったな…そういえばピーちゃんと呼ばれていた頭髪の薄い男がいたな…医学部の角田、中東から来たアブドゥという陽気な留学生も…。10年以上意識の彼方にいた人間達が芋づる式に思い出される。
自分は1年の冬に、今思い出した連中達を巻き添えにして、その部活を退部した。旧時代的な縦社会の運営に嫌気がさして、民主的な運営に改めるよう声を上げたが叶わず、ならば実力行使だと1年生の約半数を唆して一斉退部したのだ。実力的に辞められて困るメンバーはさほどいなかったはずだが、部活の運営の頭数としては相当困る人数を巻き込んでやった。仮に運営上問題なくても上級生のメンタル的には相当応えたろうと思う。それが原因かは知らないが翌年の大会で2部落ちを経験することになる。
増長していた私は辞めたメンバーと一緒にサークルを新たに立ち上げようと画策した。より民主的な運営で、純粋にスポーツを楽しむことを目指した。名前を決めてポスターまで書き上げ、あちこちの掲示板に貼って回ったが、新歓の時期でもなかったので人は全く集まらなかった。最初は盛り上がっていたメンバー達も、徐々に疎遠になりサークル立ち上げの話は自然消滅した。クーデターは起こせたが指導者にはなれなかった。今思えば練習場所の確保や会費、運営規約など何一つ用意せずに立ち上げようとするなんてあまりに世間知らずな計画だった。そのお粗末さを自覚せずにふんぞり帰っていた自分を思い返すと恥ずかしくて身悶えする。

その10年後の自分はまた社内の不満分子を集めて新規事業を立ち上げようと画策している。当時よりははるかに能力の高いメンバーに恵まれ、ちゃんと社長にも話を通しながら進めていて、その点は少しはましになったとは思うが、正規のルートでのしあがる労を惜しみ、我が道でショートカットしたがる性癖はちっとも治っていない。過去の失敗から何か糧を得るとすれば、自分が目立つのではなく周囲を引き立たせること、自分が一番下働きをやること、自分の不足を恥じず率直に協力を仰ぐこと、そして少しでも前に転がし続けること。それが一番大事。10年前の自分は最後までやり抜かなかった。だから勝ち負けで言えば負けてすらいない。今回は何度暗礁に乗り上げても必ず事業として形にして成功失敗が結果として現れるところまでやり抜く。たとえ一敗地に塗れるということになっても、10年間生乾きになっている古傷が壊死するよりマシだと思っている。