un deux droit

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メタ・メッセージの概念がわからない妻

生理中でも妻の口撃は絶好調。悲しいことに。昨日も深夜2時まで話し込んでしまった。
妻はとにかく話が長い。一つのことをこれでもかというくらい様々な角度からコスり倒す。一つ一つの文は間違ったことを言っていない。しかし、角度を1度ずらしたくらいの話を執拗に繰り返されると、話の内容よりも、なぜそこまで繰り返すのかという執拗さに別のメッセージが込められているのではないか、と人は邪推すると思う。いわゆる、メタ・メッセージというやつだ。特定の環境・条件下で特定のメッセージを発するという構図そのものから発せられるメッセージ。言ってることは正論だけどこんな朝礼でみんないる前で吊し上げるなんて、ただマウンティングしたいだけじゃん、みたいなやつ。正論部分がメッセージだが、俺はお前より格上だ、がメタ・メッセージ。
それで、私は妻のメッセージ量がかなり平均から逸脱して多いように感じている。人はメッセージに違和感を覚えると、真意はメタ・メッセージの方にあるのではないかと邪推する。この場合は強い拒絶、侮蔑をぶつけて劣等感を植え付けることがしたい、あるいは言い負かして優越感に浸りたい、なんてこと狙ってるんじゃないかと想像したくなる。
けれども彼女にはメタ・メッセージは何もない。ただ純粋に言いたいことを絨毯爆撃のように乱射しているだけ。裏返しても悪意も善意もない。だから、受け手がメタ・メッセージを邪推してそれに反発しても全く心当たりがないから話がどんどん噛み合わなくなる。そんなにメッセージ量が多いと不可解に感じて何か他の思惑を人は感じ取ろうとしてしまうよ、と言っても、私はメッセージ量が多いとは思わない、だから相手がそう曲解するとは想像できないの一点張り。これって俺がおかしいのかな。
彼女の過去の人とのやりとりを観察すると、親族だろうと会社の同僚だろうと同じペースで言いたいことを言いまくっている。それで煙たがられて疎遠になったり、嫌われてると傷かせて鬱にさせて退職に追い込んだりという前科が度々ある。それでも彼女は口をつぐまない。言いたいことを澱まなく言えて孤立しても1人でやっていけるための実力を積み上げてきたと嘯く。
だいたい欧米では私くらいものをズケズケというのがスタンダードで日本人間のコミュニケーションの不文律がガラパゴスなのよ。妻はいつもとどめの欧米を持ち出す。実際に彼女は大学→社会人と10年海外で暮らしていたからもうぐうの音も出ない。第一、私が「普通」で「平均」で「スタンダード」であっても、それが理由で口をつぐむことはない、少数派上等、という気合の入ったはぐれもの。私が順応するか立ち去るしかないすり合わせや歩み寄りがあるようで無い。孤立を甘受した不寛容は最強である。私は何故こんな鉄人を伴侶に選んだのだろう。若さゆえの無謀さと思慮の浅さを悔いてと仕方がないので、この苦難の日々で培った、日本での生活では鍛えられないコミュニケーション能力が、日本で何か政変でも起こったりして報われる日が来ることを心待ちにすることにする。