un deux droit

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自分の役割の任せ方

今週末、珍しく宿泊ありの出張を控えている。
出張が入ると大概妻は機嫌を損ねるので、戦々恐々としていたのだが、当日の過ごし方についてひとつも言及せず踏み込んでこない私の消極的な態度が妻の怒りに火をつけた。

「なんで不在の間の具体的なアドバイスをしようとしないわけ?」

自分が不在にも関わらず、その間の過ごし方についてあれこれ口出しし、無責任に案だしだけする態度の方が癪に触るのではと思い殊勝にしていたのだが、それが裏目に出た。

妻曰く、自分が不在の間つつがなく過ぎ去ることを願うということは、自分の存在が不要であることを願うのと同義であるとのこと。言い換えると自分の役割の価値を、つまらないものと自分で貶めている。

むしろ、私が不在だとみんなが困る、という事態を「むしろ自分の普段の貢献は余人をもって変えがたく、それだけ自分の存在価値が高いのだ」と喜ぶべきなのだ。

だから丁寧に引き継ぎをしたり、自分が普段担当しているからこそだせるいろんなアイディアを惜しみなく提供し、不在の間の負担を緩和すべきなのだ、と。

自分が不在にすると迷惑がられるのは、普段それだけ頼りにされているからである。
この捉え方は私には斬新だった。

逆に、自分が誰かの役割を代行するときには相手の申し訳なさを緩和しようと「全然平気だったよ」と言って フォローしていたつもりだったのだが、それは「お前の仕事なんか楽勝だぜ」という意味になっていたとは。
この場合の正解は、
「大変でしたが丁寧な指導のおかげで無事にこなせました。普段これだけのことをされていたのかと思うと頭が下がります」
だ。
私はよく間違えているのでしっかり理解せねば。