un deux droit

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家庭内における民主主義的決定の困難

今朝、2歳の次女がカップのぶどうゼリーを食べたがった。
たまにはいいか、とフタのビニールを剥がしたところで、5歳の長女にも分けてやらないとかわいそうだなと思い、お皿に半分移し替えて残り半分になったゼリーをあげたらギャン泣きした。

「お姉ちゃんにもあげないと可哀想やろ?」
「そんな我がままいうなら全部お姉ちゃんにあげるよ」
そんなやりとりをしつつ、追加でドーナツをあげることで気持ちをおさめてもらった。
次女はドーナツを頬張りながら、
「自分でやりたかったの」
と私を睨んだ。
つまり、最初から姉と半分こにするつもりで、全部独り占めするつもりはなかった。なのに勝手に配分を決められて悲しかった。信じてくれよ。そんな言い分を感じ取った。
なるほどな、ごめんね。そう詫びてその場は収まったが、では果たして次女がちゃんと分配するのを信じて任せるのが本当に適切だったのだろうか?長女からすると次女の気分次第でもらえるかどうかが決まる不安定な立場を嫌がるだろう。それならば利害のない第三者である私が公平に等分した量を最初からあてがわれた方が気分はいいはずだ。でもそれも私の価値観にすぎず、長女はどちらでも構わないかもしれない。では次女が自分で分けたいと言った時に、長女にそれでいいかと確認を取り、合意が取れたらそのようにやらせ、約束通りに次女が分配するかを観察していればよかったということだろうか。まぁそれが一番民主的な介入なのかもしれない。

未熟な子どもたちの意思を尊重するか、そのためにどれだけ時間と心の余裕を持てるか、というのはかなりの難問。慌ただしい日常においてはどうしても共産主義独裁政権になりがちだ。他の家庭の采配を知りたい。