un deux droit

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昏い悦び

「あんどう〜、さいきんつまんねーよ〜」
大阪の支店長がweb会議で雑談中に呟いた。
40半ばにして独身貴族を気取り、自由を謳歌していた彼は、コロナを機に羽をもがれた。
夜な夜な繰り出していた繁華街には立場上足を踏み入れることを許されず、部下を引き連れて飲みどころかランチにも行けず、一国一城の主でいながらその名誉欲を満たせない孤独な日々が彼を蝕んでいた。
「そうっすね」と私は適当な相槌をしつつも、コロナ前から子育てで忙殺されて自由に使えるお金も時間もなかった私は、正直に言うと特段生活に変化がなく、緊急事態宣言下だからといって余計に不自由や退屈を感じることはない。どうせコロナ前から行きたいところには行けなかったし、やりたいことはやれなかったのだ。言わば1人緊急事態宣言。そんな環境にかれこれ5年も身を置いていた大ベテランである。数多くの制約の中でもささやかな喜びで自らを満足させる術を見出せるようになってしまっているのだ。
そう考えると、みんなが一斉に私と同等の不自由を味わうことになったとも言える。不自由さはフェアだけど、私には子どもがいてその分喜びや楽しさもある。そういう喜びもないまま不自由さだけ味わって苦しむ人を見ると、少しいい気味というか、ざまあみろというか、今までいいとこ取りして美味しい思いしてきたんだからこれでトントンだ、と清々した気持ちになる。他人の不幸を悦ぶとは我ながら本当に嫌なやつだ。コロナの感染を恐れているくせに、また、飲食や医療、スポーツの業界で苦しむ友人がいるくせに、不自由についての公平さという一面のみにおいて、もうしばらくこの状態が続いても構わないという気持ちに一瞬なってしまった。東京にいないせいで、時間に制約があるせいで、逃してきた無数のチャンス。意識しないよう努めていた、羨ましい、悔しいといった感情が心の底で澱みとなって一気に噴出した感じ。そんなこと考えてるとバチが当たりそうだな。とりあえず、そう長くは続かないだろう地方生活の栄華をしばらく堪能することにする。