un deux droit

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もういい加減「働きがい」という言葉に聞き飽きている

私は社員研修会社の営業をしているのだが、最近はどこへ行っても「働きがい」だの「モチベーションアップ」だのをお題として投げられる。

「どちらの会社様も重点経営課題として認識されてらっしゃいますよね〜」と薄ら笑いを浮かべながら適当に相槌を打つのだが、正直勘弁して欲しい、という表情がにじみ出てしまっている気がする。なんならそのお題を出してくるお客様自身の表情にも、このテーマに対する「飽き」が見て取れる。

馬鹿馬鹿しいと思いつつも、ちゃっかりそういうラインナップを当社としても取り揃えているので、言われたものを黙って提供すればビジネスマンとしては及第なのかもしれない。しかし本音を言えば、「なぜ仕事に取り組むことそのものでモチベーション上がらないんすか?」というツッコミをしたくて仕方がない。

そもそもを言えば、会社で働くのは、その会社の事業に意味を感じて、その事業の推進に自分を関与させることに喜びを覚えるからではないのだろうか。そもそもその会社の事業にも関心がないし、業務に携わることを苦痛に感じるなら決定的にその会社と合ってない。外からどうパッチを当てたところでモチベーションの向上は不可能だ。

そして、そんなきちんとした動機で会社を選んでいる人はそもそも少数だ。なんとなく知名度だったり、給与や待遇だったりで会社を選んでいる場合、長く働けば根本の動機のところでいつかはミスマッチが起こる。余談だがそれは会社も同じで、どういう仕事をしてもらいたいかが明確でないまま大学名で上から順に人を採用しているんだから、期待するパフォーマンスを発揮しないと憤っても仕方がない。採用の仕方が間違っている。

よく就職は結婚みたいなもんだと言われるが、お互い好きでもないのになんとなくノリで結婚しちゃったんだったら、後からあれこれ不具合が出るのは当たり前のことで、それに耐えられないのなら離婚するしかない。つまり退職だ。

あるいは結婚なんてそんなもんさ、誰と結婚したところで大差ない、と開き直ってしまえば、適当なぬるま湯状態でダラダラと婚姻生活を続けていくのもありだ。つまり社員にそこまでモチベーションを期待せず、言われたノルマだけやってくれれば御の字、としてしまうことだ。

最高の結婚生活を死ぬほど追い求めているくせに、パートナー選びはザルみたいなやり方で、しかも提示する待遇もしょぼいときたら、何をそんなに高望みしてるんだ、と冷笑してやるしかないのである。


いや、業務自体には動機づいてると思います、そこにミスマッチはない、という組織は、もっと別の具体的な問題がある。評価の仕方、社風、ワークルール、人材の登用のされ方、人間関係、経営陣の人間性などだ。その場合「モチベーションが湧かない」「働きがいを感じない」という社員の発言はもっと掘り下げが必要で、「あの使えない部長がずっとのさばったまま高給をさしめているのがどうしても許せない」とか「この案件の実働部分はほとんど自分がマネージメントしたのに、パフォーマンスだけのあいつに手柄を持っていかれた」とか具体的な事象が必ずあるはずだ。しかし、そういう個別の問題にメスを入れてしまうのは大抵具合が悪い。組織の根幹に根深く癒着していることがほとんどで、無理に外科手術すると合併症を引き起こすことが目に見えていたりする。なので個別の問題からは目を逸らして、全体をまるっと「働きがいの低下」とタグ付けしてしまう。気持ちは分からなくもないが、そうなると途端に適切な解決策の打ちようがなくなってしまう。大出血を伴う悪性腫瘍の除去を英断せねば組織そのものが死んでしまうのだ。悪性腫瘍はギャーギャー騒いで必死に抵抗するだろうが、躊躇なく切り離してしまえばやがて無力化するのでしばらくの辛抱だ。体の手術と違って会社組織が厄介なのは、生き残った側の比較的健全な細胞が執刀医を除去しにかかることだ。腕が良ければそれだけ警戒されるし、腫瘍の残党が逆恨みして足を引っ張りにくる。そして身に覚えのないことの責任を負わされて失脚させられるのがオチだ。

そこまでシナリオが見えている賢明な担当者は死んだ目をしながら人畜無害なモチベーションアップセミナーをこなし、適当な評価を獲得する。そんなどうしようもなさの狭間に自分の生活の糧がある。茶番に塗れてすっかり薄汚れてしまったが、せめてもの良心として沈んでいる船の乗客に、控えめに言って沈んでいることのお知らせと、希望者に救命ボートの斡旋くらいはしてやろうと思っている。