un deux droit

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新規事業を成立させる要素

昨年から細々と検討を重ね、昨年末に役員会議に提出したものの予算化されず宙ぶらりんになっている新規事業案。方向性はいいんじゃない(カネは出さないけど)ということだったのでなんとかお客さんを味方につけようと、需要の有りそうな会社に「まだ本決まりじゃないんですけど…」と営業の合間に口頭で紹介して回っている。
すると、ある一社の担当から「それは面白そうですね。問題意識は私達と共通です。役員会に欠けるので詳しい資料もらえますか」という反応を頂いた。まだ社内提出用の企画資料しかなかったのだが、文言を顧客用に書き換えて「あくまで社内決裁の降りてないラフ案ですので…」と添えて資料提出した。

すると10分もしないうちに顧客から返信が。資料送付のお礼に添えて「余談ですが…」との前置きとともに、「計画の設計や要所要所の言葉選びが秀逸で感動しました。いったいどうやったらこんなアイディアが思いつけるのでしょうか。可能な範囲でコツを教えてください」という格別の評価を頂いた。頂いたメールは早速協力してくれた社内有志に転送した。我々の努力の結晶が無価値だったのではなく、価値を見出してくれる人に不幸にも出会えなかっただけだったのだ。顧客のメールには続きがあった。「早速なんでですが4月に御社とやるこの企画、あんどうさんのくれたアイディアを実験的にくっつけられるんじゃないかと思います。もし可能なら社内調整してもらって見積もり算出してもらえますか」なんて神なんだろう。自分たちの組織を「治験」に使っていいよ、という申し出だ。これで一つ実績を作れば本格的に事業化する強力な後押しになるはずだ。私は早速4月納品で受注している企画の製作担当者に事情を説明し、協力を要請した。「すみません、できません」チャットは秒で帰ってきた。いや、もうそれ自動応答設定してるでしょ。仕様が決まっているものを淡々と納品するのがあっしの仕事であって、使用の変更を伴うものは一切検討しませんという頑なな態度。お前なんかさっさとAIに取って代わられろ。ということでやむなくまだ人間の心を失っていない製作スタッフを探し回っている最中である。

事業を一つ立ち上げるというのは本当に骨が折れる。ステークホルダーが複数いて、そのどれか一つでもへそを曲げたら世に生を受けることがない。登場人物はこうだ。「考える人」=企画、「買う人」=顧客、「売る人」=営業、「作る人」=製造、「金だす人」=経営。まず「考える人」がいなければ生まれようがないので当然やるとして、一緒にアイディアを出してくれる人をまとめ上げてモチベーションを絶やさないことが大変。大半はそこでつまずく。そこのなんとか切り抜けても、次は当然それをほしいと思う人がいなければ無駄なので「買う人」候補を探す。それを探すために「売る人」の協力が必要になる。「売る人」に事業の基礎知識や効用を噛み砕いて説明して回っているが、感度の高い人間は1割程度。なのでもともと自分が営業畑なので「考える人」を「売る人」を兼務することになる。私が売れたらかんたんに追随してくるのが「売る人」の性だからだ。そうやって「買う人」候補を見つけて、こういうのだったら買うよというアイディアをもらいながら事業を磨く。ある程度形になってきたらいよいよ試作段階で最初の投資が必要になる。そこで「金だす人」に価値を理解してもらわなければならない。当然経営がポンコツな当社だとそこでつまずくので、「買う人」=顧客に「金だす人」の役割もやってくれないかと頼んで回る羽目になっている。
そこもなんとか糸目がついて、ようやくたどり着いた「作る人」。「作る人」がいなければまさに絵に描いた餅なのだが、またこの人種が「売る人」よりも輪をかけて感度が低い。すでに誰かが作ったもののコピーを作るのは得意だが、見たことのないものを想像して「最初の一つ」を作ることが死ぬほど苦手。「考える人」の素養も持っている人が弊社ではなかなかおらず、ここも外注のつてがあるのでそこに頼む予定。本当は内製でできるようになったものを外注化したいのだが、中小企業なので贅沢は言っていられない。「考えて、売る」を私、「金だして、買う」を顧客、「作る」を外注にするのなら、一体この会社はなんのために存在しているのだろう。過去の再生産をするためだけの会社なんか潰れてしまえ。