un deux droit

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想い出の「いちごコンパ」

id:purpledさんの記事を読んでとても楽しませてもらった。

450hosigata.hatenablog.com

そして不意に自分も、イカれた卒寮イベントがあったなぁということを思い出したので、触発されて書きだしてみる。

全く嬉しくない「選ばれし世代」

自分が生活していた寮は、飲酒に対する並々ならぬ執着を持っていた。とにかくよく飲む。しかし学生は金が無いので、すぐ甲類焼酎に頼る。忌々しきビッグマンを嫌というほど飲んだ。「工業用アルコール」「まずい、まずい」と言いながら飲むのをやめない私たちは真正マゾヒストかただの狂人だった。

1年目が終わろうとしていた3月、謎の「赤紙」が郵便受けにびっしりと入っていた。開くと「いちごコンパ」なるイベントへの招待状(召集令状)だった。その紙は、名前の可愛らしさで打ち消すことのできない禍々しさをまとっていた。

同じ部屋の先輩に「これなんすか」と聴くと、ニヤニヤしながら詳細を教えてくれた。



この「いちごコンパ」なるものは、1年目と5年目が飲酒するというだけの超絶シンプルなイベントだった。5年目というのは、医学部などでなければ留年・休学しなければなれない身分のため、4年でストレート卒業さえしていれば同じ釜の飯を食う機会のなかった間柄ということになる。その奇縁を多として、5年目が無事に卒業・卒寮する(はずの)3月に開催されるのだという。

いつ始まったのかは知らないが、はるか昔の5年目がやりはじめて、その回に参加した1年目のうち、5年目まで卒業できなかった者が1回目の4年後に開催した。以来4年に1度開催される大変ありがたくない冬季五輪的イベントとなっていたのだった。そして私の入寮年は折悪しくその「選ばれし世代」。その情報が3月まで伏せられていた点に秘密結社的な気味悪さを覚える。

なにしろそのコンパがどのようなものなのか、参加資格のない年目はその詳細を知ることすら許されていないのだ。4年に1度、大ホール2階の一室で開催され、関係者以外立ち入り厳禁。主催者が終了を宣言された後にようやく部外者の入室が許される。噂では5年目同士が殴り合って血まみれになったとか、ビール瓶で頭をかち合われた人がいるだとか、一芸をやらされてつまらないと全裸になって窓から吊るされるだとか、そういうbe-bopな伝説だけが独り歩きしていた。多分参加者全員、地獄甲子園読みすぎ。一応、今まで死者はいない、ということだけは判明している(ので続いている)。なにその誰か死ぬまで終わらない悲劇の連鎖は…。

もちろん参加は任意なのだが、当時1年目ながら執行委員会に入っていたので、日和る訳にはいかないということで半強制的に参加することになったのだった。

決戦当日

私が1年目の時の5年目は、錚々たるメンバーだった。応援団団長、副団長はもちろん留年していて参加。その他酒癖が悪い、すぐ殴る、すぐキレると三拍子揃った各部屋の番長格が仲良く留年して揃っていた。5年目は20人ほどが在寮していて、うち半数近くは6年目突入が決まっている、というツワモノの代だった。元々そういう素養を持った人間の揃う学年が奇しくも「いちごコンパ」の代になったのか、「いちごコンパ」の洗礼を受けた代がレジェンドとして成長したのかは定かでない。

「とりあえずメガネはかけていくな」という先輩の教えを守り、裸眼で恐る恐る会場に足を踏み入れる。先に会場入りしていた5年目達は年季の入った学ランを羽織り、横一列に並び無表情で仁王立ちしていた。対する1年目は、80名ほど在籍する中で参加したのは40名弱。この1年の寮活動で名を馳せた活きの良いメンツが揃っていたが、物々しい雰囲気に呑まれて小さくなっていた。羽織る学ランもつんつるてんの安物に見える。

5年目の一人が開会宣言をする。「今日はここに用意された酒が飲み干されるまで終わらない。」ルールはそれだけ。酒は、数えで9年目(前回のいちごコンパ時の5年目)が差し入れてくれた、とのこと。後方の台に鎮座する絶望的な量の大自然とビッグマン。殺す気か。

その後、1年目が順々に点呼され、一緒に飲みたい5年目を「逆指名」しろと言われた。こんなに嬉しくない合コンはこの世にない。どの大ハズレかを必ず選ばなければならない地獄のマッチングアプリ。私は「ジャイアン」と呼ばれていた応援団副団長を選んだ。「酒が進んでくると、気に食わないやつがいたら笑顔を崩さず右拳を飛ばしてくる」ことで有名だった副団長だが、シラフの時は侠気にあふれる兄貴分で、虎穴に入らずんば虎子を得ず、の勢いで一番危ない人間の懐に飛び込むことにしたのだ。酒体力のある序盤で、日和った姿勢を見せずに威勢よく酒を交わす姿勢を見せておけば「愛い奴」と認定されてかえって安全地帯を確保することになるのでは、という打算もあった。

いよいよ、宴の開幕。副団長の輪には私の他にもう1人一年目が来て、3人で飲むことになった。
「とりあえず3人でこの焼酎を飲み切るぞ」
副団長は明るく縁起でもないことを満面の笑みで言った。これまでのコンパとは比べ物にならない酒量。つまみも無し。そんな勝者の存在しないチキンレースの火蓋が切られた。

「寮文化をどう思うか」
「なぜ俺を指名したんだ」

今となっては記憶が曖昧だが、おそらくそんなことを問われたと思う。何が彼の逆鱗に触れるか分からず恐ろしかったが、自分なりの真剣な考えを率直に伝えていたら議論が白熱してきた。夢中になって話し込んでいると緊張感もほぐれ、楽しくなってきた。副団長が寮で5年過ごしてきて自分なりにどう大学生活を捉えているか。この環境をどうすればもっと魅力的にすることができるか。より多くの人が楽しめる寮にするには。そんなことを真面目に話した。この人、見た目の暴力的風貌に騙されがちだが、普通に議論できる。寧ろとんでもない知性を感じる。すっかり忘れていたが、この人も熾烈な受験勉強を勝ち抜いてきて入学しているのだという当たり前の事実に今更気がついた。普段馬鹿ばっかりやってるけど、みんなちゃんと国立大生なんだよなぁ。ガリ勉しまくってきた奴らが真剣に馬鹿やっている滑稽さに愛おしさを感じた。そんなことを思っていると、いつの間にか4L焼酎の底が見えてきた。最後に3人でカップ並々に焼酎を注ぎ、乾杯して一気飲みをした。喉がヒリヒリと灼ける。途端に酔いが回って前後不覚という感じになってきた。

その後の記憶は定かでない。一緒に飲んでいた1年が調子に乗って副団長に絡み出して右ストレートを浴びせられたり、部屋の四方でゲロを吐く音が響き渡り、それにもらいゲロする輩が続出したり、誰かのメガネが捩じ切れられて宙を舞ったり、9年目や13年目が乱入してきて5年目にボコられたり、「俺はゲイキャラで笑いをとっていたんだけど実は本物だよ」と告白されて体を迫られたり、「ようし殴り合いしようぜ」と何の理由もなくナックルトークが始まったりと阿鼻叫喚の地獄絵図となったところで記憶がプツンと途切れている。もしかしたらその絵面も記憶の捏造かもしれない。バージンは失っていないと信じたい。朝起きたらゲロまみれで自分の寝室に寝かされていた。とりあえず生きていた、ということだけしか分からなかった。ひょっとしたら悪い夢だったのかと思いたかったが、二日酔いでガンガンと痛む頭が、昨日の出来事は事実であるという証拠を突きつけていた。一緒に飲んでいた1年目も無事生還していたが、目が漫画みたいに青く腫れあがっていた。


4年後

私は、当初の学生生活で想定していなかった5年目に突入していた。
単位は揃っていたが、卒業後の進路を何も考えていなかったので、とりあえず一年休学することを選んだのだ。わたしたちの代は4年前の英才教育の効果も虚しくストレートで卒業する人間が続出したため、5年目まで生き残った(行き遅れた)人間は10人に満たなかった。しかも4年前の豪傑達と比べ、自分達の代はどうも廃人くさい人間が多く、人を殴ったことも、殴られたこともないような温室人間の衆だった。とてもじゃないけれどあの戦慄の夜を再現できるような迫力に欠けていた。別に俺たちの代で終わりにしてもいいんじゃないか。そんな空気も漂ったが、我々の代の応援団長が「自分達の代で途切れさせるのは恥だ」と強く主張した。こいつがやるというなら自分たちも人肌脱ごう、と7人が賛同して「いちごコンパ」を開催するという決断をした。「七人の侍か‥」黒澤好きの男がつまらないことを言った。

翌日から「いちごコンパ」の準備を始めた。4年前と同じく赤い色紙を自分達で裁断して、筆ペンで一枚一枚招待状を書いた。9年目の何人かが酒の協賛をしてくれた。4年前は参加しないと後が怖いというくらい威圧感のある5年目の面々だったが、今回は舐められて人が集まらないかもしれない。そんな不安もあったが、蓋を開けてみると30人ほどがコンパに来てくれた。精一杯学ランで虚勢を張るも、人数比が1:3になってしまい逆に呑まれてしまっているように思う。ただそんな心配をよそに、1年目はそれなりに緊張して神妙にしている様子だったので、1年目から見た5年目は自分が思うより威圧感あるのだろうな、と他人事のように分析していた。

自分を指名してくれた1年目3人と、いざコンパ開宴。4年前と違って、4人で空ける4リットル焼酎はあっさりとやっつけることができた。1年目が泥酔して調子に乗った言動をしていると、胸ぐらを掴んで啖呵を切るくらいの小競り合いが何度かあったものの、終始和やか、賑やかに宴夜は更けていった。なんだかんだ記憶は飛ばしてしまったのだが、聞くところによると、自分は寮のいくつかの不文律について「そんなものは気にするな、自由に生きろ」と
気炎を揚げて、リベラル派の一団とお下劣な盛り上がりを見せていたらしい。朝発見された時は応援団の一年と抱き合ったまま寝ていたのだとか。今度こそバージンを失っていたのかもしれない。ともあれ2回目の「いちごコンパ」も無事に生き延び、晩節を汚しつつ卒業することができた。


その4年後もいちごコンパは開催されたらしい。私と抱き合ったまま寝ていた応援団員は副団長まで務め上げ、きっちりと留年していた。その彼から協賛の依頼があったのだ。2022年現在までのどこかで潰えるべき文化だと思うので、どこかで責任ある5年目(もはや留年すらしてないか?)が断絶していることを願う。ただ、野蛮な時代の名残を過ごした5年間は、人畜の境界を覗き見る貴重な体験だったと思う。