un deux droit

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連休は拷問

今年もやってきました大型連休。特に意欲の涌かない出かけ先をなんとか捻出する苦痛に苛まれ、計画の段階で必ず妻とのいざこざがあり、浪費と混雑に巻き込まれて、疲弊するという拷問週間。Goldenなのは関連業者にとってだけだろう。私にとってはとても迷惑かつ憂鬱な存在だ。

特にこの時期になると、お休みはどちらへ、と聞かれるし、子どもたちからもあそこに行きたいとか、友達はあそこに行くみたいだ、とかプレッシャーを日々受ける。相手も別にその話題に興味ないのだろうから、そもそもそんな話題振らないでくれよと思う。

10万単位で簡単に消えていく旅行というものに、みな何を求めているのだろう。慣れない環境で睡眠の質は下がるし、外食続きで胃がもたれる。いったからにはもとを取ろうと予定を詰め込みがちになるし、その調整も容易ではない。店が閉まっていたり、家族が急に熱を出したりしてせっかくの計画も頓挫し、土地勘のないところで間に合わせのアイディアを急造するなんてことも珍しくない。そうやってヒイヒイ行って帰ってきたら、今度は荷解きやら滞った家事の取り返しやらで疲れた身体に追い打ちがかかる。そして泥のように寝たらすぐに勤労が始まる。何が楽しいんこれ。

こうやって書き出してみると、自分は非日常が嫌いなんだなあということがつくづくわかる。1日のルーティーンをできるだけ乱したくない。なにせ土日程度の非日常でも嫌になるくらいだ。つまらない人間だよ全く。

昔からそうだっけ?昔はそういう非日常にワクワクしてたよな?そう自問すると、あぁ、この家族となにかを考えることにとにかく倦んでいるだけなのだな、という結論に至り、更に嫌気が差す。自分が直視していないものに直視させられる、という意味でやはり連休は拷問である。