毎朝長女の弁当を黙々と作っていると、俺の人生何なんだろうなと虚しさが襲ってくる。
午前9時までの単調なルーティンワークと、午前9時からの仕事場での戦いとのギャップが大きすぎて、人格の切り替えが身に堪える。
独身でいる親友の女性は、仕事しかない日常、自分の生命維持のための家事や食事の虚しさを語るが、家族がいないならいないなりの、いるならいるなりの、退屈があるのだろう。
弁当作りが耐え難いほど苦痛、と言うほどでもない。そんな鈍い苦しみが延々と続き、馴れ、いつの間にか子どもは成人を迎えるのだろうな。子どもが成人を迎えたその瞬間の気持ちは感動ではなく解放感なのかなと思う。私の母親もそんな感じだったな。今ならわかる。