un deux droit

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GIVERが手放しに賞賛されることについての留保

みんなも一緒に読んでみよう

妻と私の決定的に噛み合わない点。それは「与える人」と「貰う人」の差だ。

妻の人生観は、今こうやって生かされていることがありがたいのだから、せめて社会や周囲の人々に何か与えたい、というもの。自分はもう貰うもの貰った(生を与えられた)から、あとは与えることそのものが生きる喜び。別にこれから誰かに何かをもらおうとは思っていない。給料も先にそれだけの価値を与えたものの対価だから、変にありがたがることなく淡々と受け取っている。

実に清々しいポリシーだ。GIVE&TAKEという本が昔よく売れていたが、その本では妻のようなGIVERが結局社会で愛されて成功する、と書かれている。読んでないけどそう帯に書いてある。
しかし、そのようなGIVERと一緒に暮らすのは、実はかなり厄介だ、というのが私の見解。仕事ならいいのかもだけど家庭だと辛い。というのも、もらいたい人=TAKERの気持ちや行動原理が全然わからないからだ。

私は凡百の人間と同様に「もらいたい人」だ。興味を持たれたいし好感を持たれたいし感謝をされたい。なので当然他人もそうだと考える。
なので何か与えた時は相手は「もらえた」のだから喜ぶと思っているし、与えた私に好意を示すと思っている。基本的にはこんな善意の交換が人間社会のメカニズムだと信じている。
その世界に妻が降り立つと途端に世界がギクシャクする。まず妻は人からの感謝を受け取らない。私が妻のした家事に感謝を告げると、自分がしたくてしたことだから、と逆に不愉快になる。そして人の貢献にも感謝しない。妻が私の家事に感謝するどころかダメ出しを繰り返すことに憤慨すると、それは自分がしたくてしたことだからでしょ、と逆に不愉快になる。

「してくれたことはありがとう、だけどここはもっとこうしてくれたら嬉しい」

この構文で話してくれさえすれば世の中は平和になるのに、頑なに採用しようとしない。

ありがとうを言ってもらうためにやっているのならやらなくていい、改善の提案に憤慨するならやらなくていい、の一点張り。

私は欲しがり屋というわけではなくて、一般的なマナーの話をしているつもりなのだが、そのマナーもTAKER蠢く地獄の沙汰に限られるらしい。

つまりGIVERとTAKERは共存できない。私もGIVERにジョブチェンジできるよう前掲の本を購読しようと思う。自分の差し出したものが好まれようと好まれまいと、差し出せたこと自体を喜びと思おう。善意を受け取りを拒絶されても傷つく必要はないし、拒絶した人に善意の差し出しを停止してはならない。相手はそのブツが不要だっただけで、与えようとしてくれた気持ちだけは受け取っていると信じよう。物・行為の受け取りと善意の受け取りを切り離そう。TAKERとしてこの道30年以上生きてきた私にとっては頭のちぎれそうな毎日だ。