un deux droit

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俺なりのテニプリ(暗黒編)

かつて転職欲求が最も高まったときに、発作的に登録したWantedlyから定期的にメールが届く。発作的に登録したせいでメール配信解除のpassがわからず、それほど頻繁な通知でもないから放置していたところ、昨日「〇〇大学(母校)の人がどんな仕事をしているかみてみよう」というメールが飛んできた。興味本意でスクロールしてみると、一番下に知人がいた。1年の途中まで入っていた、硬式庭球部同期の矢口だ。自分の代で部長を担って、テニスだけに大学生活を費やし、留年し、就活に苦労したのか、学部とは全く関連性のない、わざわざ難関大を卒業する必要もなかったような中小企業に就職していった男。その後の消息を知らず、自分の体たらくを脇において、ほんのり心配していたが、ベンチャー系の化粧品会社の幹部としてしぶとく生き残っていた。幸せそうに子育てしている社内ブログなどを見てよかったよかったと安堵する。

入部当時、矢口は鳴り物入りのスターだった。国立大には珍しいインハイ経験者で、入部すぐのシングルス公式戦で受験勉強のブランクを感じさせないプレーでベスト8をさらりともぎ取った。プレースタイルは今現役の選手で例えるならメドベージェフかな。線が細く見えるのに、外見に似つかわしくない凶悪なショットと剥き出しの闘志あふれる狂犬プレーが魅力的だった。もちろん即レギュラーの座を勝ち取り、持ち前の人懐っこさから、上級生の寵愛を一身に受けていた。なんでこの大学に、こんなにテニスができるコンディションで現役で入学できてるの。それなりに難関大に入ったと自負していた私としては、現役で合格できる程度の学力の維持と、すぐに大会で活躍できる程度の運動能力の維持を両立できている事実に認知的不協和をおこし、正直面白くなかった。てめーは夜神月か。

夜神月と比べてしまうと流石に格落ちするが、醜いジェラシーを発動させるには十分な程度に「天は二物を与え」ていた。

また、この入部した体育会系の上意下達なヒエラルキー型組織文化自体にも馴染めなかった。上級生は絶対。ただし実力のあるものは例外。という理不尽な弱肉強食がまかり通るムラ社会は、底辺高校で牧歌的な平等社会の中でぬくぬくと育ってきた私にとってはあまりに殺伐としていた。なんでレギュラーとそれ以外で使うコートが違うの。なんで1年がやるべき仕事を矢口だけ免除されてるの。なんで矢口だけ飯誘ってもらえるの。進学校上がりでギスギスしながら周囲を蹴落とすことが当たり前の社会に染まってきた人間にとっては、こういうえこひいきがまかり通るのかもしれないが、わたしはそういう階級社会を好んで構築しようとする輩が大っ嫌いであった。おまえら、今は猿山の大将でいれるからいいと思うかもしれないけれど、こういう身分格差を是とするということは、ゆくゆく社会に出たときに「東大京大卒から人間以下の扱いを受けることを甘受する」ということを意味するけれどそれでいいんだな。私は上級生の非人道的マネジメントにそんな反骨心をふつふつと煮えたぎらしていた。

とはいえ、私の大学は当時1部に属している強豪でもあった。こういう理不尽な切磋琢磨も強さのためにはやむなし。実際に結果も伴っているではないか。そう思う自分もいた。その年、地区大会で優勝した我が庭球部は全国王座出場を果たす。ムカつくけどやっぱこの人達すごいわ、と少し見直した。

そして帯同した全国王座。初戦でぶつかったのは早稲田大学。この戦いはトラウマだった。私が全く歯が立たず、ベーグル(6-0,6-0)で負けるような先輩方が、ベーグルで惨敗してゆくさまを見せつけられた。テニプリの世界は実在するということを知った。

マジで体感これくらい飛んでた


王座を最後に4年が引退し、3年に代替わりした。3年は性格の悪い奴らがゴロゴロいて、4年の押さえつけがなくなって暴走が始まった。レギュラーの特権を増やし、下級生の締付けを強化し、ハラスメントが横行した。王座まで連れて行ってくれた4年への敬慕があったから黙っていたが、3年には特に思い入れがない。まずは2年生を集めて部の運営方針改善について上申した。(その上申に矢口は加担しなかった)2年は下から突き上げを食らうと思わなかったのか狼狽えていて、3年にうまく伝えるから預からせてくれとその場を引き取った。その3日後、2年から連絡があり1年が集められた。

「お前らふざけんなよ」

前回上申したときに狼狽えていた者たちとは思えない威圧的な態度で、「調子に乗るな」と一蹴してきた。おそらく「お前らがなめられてるからつけあがるんだ。一度締めてこい」と突き返されたんだろう。比較的温厚だった2年が上ずった声でおらついてくる。いや、言ってもあんたら進学校上がりのボンボンじゃん。ぜんぜん様になってないよ。その滑稽な様に白けてしまった。「こっちからは以上だ。3年に対しての非礼を詫びろ。その手筈は1年で話し合え」そう言って2年は部室から出ていった。1年も1年でボンボンばかりだからマトモにビビり上がっているチキンも一定数いる。お前ら困難で縮み上がっていたらこれからの人生大変だよ…そして今日も矢口はいない。3年の家に転がろこんでいるんだろう。嫌なやつだ。それにしてもこのまま部に残ったとて惨めな日々が続くだけだ。テニスを愛する者たちと純粋にテニスを楽しむために、ちゃらついたサークルに入らず体育会を選んだというのに。

「俺はもう辞めるわ」

お通夜状態の部室の雰囲気が嫌で、私がそう口火を切った。
上申は私のアイディアだし、私が辞めれば「あんどうの単独犯」ということで残りのメンバーはそれほど立場が悪くなることなく部活に残れるだろう。だからあいつらがそんなに嫌いじゃない奴らは残ればいいんじゃない。でもあいつらは矢口しか見ていないし、俺たちの代になるまで俺たちのやりたい運営にはならない。その2年が無駄だと思うやつは今一緒に辞めようぜ。
そうけしかけたところ、私を除き10人いる1年のうち5人が辞めると言いだした。予想外の大量離反だ。これは少し小気味よいことになった。伝統ある庭球部で前例のない不祥事だろう。しかも、この代で2番手、3番手の実力者を退部に引っ張り出すことができた。矢口が部長になる代では間違いなく2部に落ちる。同級を大事にしないで自分の寵愛だけを優先したつけは自分で払ってもらおう。部室を出てその場で副部長に電話をかけ、退部の意思を伝えた。「わかった」余裕綽々で冷たく機械的に響く声。どうせ私が辞めたところで痛くも痒くもないといったところだろう。私の後に続く退部の電話ラッシュにうろたえる副部長の顔を想像してほくそ笑み、その場を去った。


その後、庭球部は矢口の代になるのを待たずして2部に降格した。程なくして2年の主力メンバーが辞めたのだ。辞めた人間の中には次期部長もいた。1年の退部に触発されるんじゃないよとは思ったが、3年の傲慢さに据えるお灸としては十分すぎる威力があったと思う。3年の代ではギリギリ1部を死守したが王座にはいけず、2年の代で陥落。以降10年近く2部で停滞したと聞いている。3年に情状酌量の余地があるとすれば、全国王座で大海を知ってしまったこと。てっぺんの同しようもないくらい残酷な高さを見せつけられたら目的を見失うよなと思う。だってあの早稲田の連中がベーグルになるような人間が日本のプロランカーであり、そのプロランカーがベーグルになるような人間がフェデラーであり、ナダルであり、ジョコビッチなんだから。やってらんないよね。

部活を辞めた後の私は辞めたメンバーで新たにサークルを立ち上げようとした。しかし練習コートの確保の仕方もサークルの運営手法も素人で、人を集める人脈もない私達が掲示板にポスターを貼った程度のことでメンバーを集めることはできなかった。自分たちの理想のサークルを作るぞ、と鼻息荒くポスターの下書きを書いていたあの一時期の増長が今でも恥ずかしい。矢口の存在はそんな黒歴史の記憶とも紐づいている。

矢口も矢口で残ったメンバーとともに部活の運営を頑張ったらしい。元々は気のいいやつなので、去っていった人間の文句も言わず、上級生になったら面倒見よく後輩を可愛がり、授業もろくに出ずにテニスに打ち込んでいたとのこと。あいつは本当にただテニスが好きなだけだったんだ。その純粋さがひねくれた自分には気に触るものだったわけだけど、部活を引退した後ちゃっかり大手に手堅く就職を決め込んでいたいけ好かない3年よりはるかに人間らしくて良い。本当に何の準備もせず卒業して社会の荒波に正面衝突したんだなと思うと、その不器用さが今では愛らしくも思える。矢口がそのまま幸せな人生を全うしてくれることを祈る。


そしてあの3年共がなにか失敗こいて左遷されてたり、性格の悪さから不倫して離婚して養育費地獄に苛まれてたりしてたらいいな。