un deux droit

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三大欲求の部分的克服

錦鯉の新番組、どうもエロの路線に傾倒していて視聴できない。ネタはくだらなくて大好きなのだが、あまり知らなくてよかったかなという一面。まぁあれが彼らの原動力なのだろうからどうぞご自由に、という感想。壮年期に入ってもお盛んなのは奇特だなと思う一方で、そういうコンテンツをインスタントな娯楽として消費できなくなっている自分にも驚く。嫌悪感ではなく、自分はもういいかな、おなかいっぱい、という感じ。それほど豊富な経験をしたわけでもないくせに。思春期以来、人生の関心の9割9分は不純異性交遊にしかなかったにもかかわらず、急速に萎んでいく性的欲求に戸惑いを隠せないでいる。

20代の頃はセックスレスなんてありえない、そんな夫婦関係はなんて不憫なんだ、と思っていたが、自分が次女の誕生以来3年以上ご無沙汰になってしまい、そのことに何の悲壮感もない、ということが自分自身意外でもある。単純な肉体的老化というよりも、超夜型の妻と生活リズムが合わないとか、自分の額が後退して容姿的な衰えからそういう行為に羞恥心を抱いてしまうとか、子どもが2人とも女の子で、女性を性的欲求の対象とすることに気が咎めるとか、複合的な要因があるように思う。

自分は動物的な性欲からではなく、ちょっと自慢できるくらいの容貌の女性を連れ歩き、「そういう人を連れ歩いていても見劣りしない男性である」ということを披瀝したい、という自己顕示欲が原動力であったのだなとしみじみ思う。女性が好きなのではなく、この女性を連れて歩いている自分が好き。我ながら同しようもない浅ましさだと思う。その罰として禿げ上がってきているのかもしれない。西加奈子の「サラバ」もそんな描写だったなぁ。

とりあえず性欲が三大欲求に入ってるのは多分間違い。そして、一定の年齢を超えると過度な性欲は害のほうが大きい。その欲を満たそうと右往左往するのは時間の浪費でしかないし、よからぬ家庭内不和をもたらすし、挙げ句に犯罪の匂いもしてくる。性欲から開放されたのはまことありがたい話だ。